TDL労災認定報道から考える ―「夢の国」を存立させる社会―
みなさん、こんにちは。
タングステンです。
今週はあまりブログの更新ができていませんね。というのも、デレステのイベント「Trinity Field」で忙しくてですね......。
とまあ、冗談はさておき、今週は来年書くことになる卒業論文のための勉強と本記事を書くための調べ物をしていたので、記事の更新ペースを落とすことになってしまいました。
あとは、先日報告ましたが、「あにぶ」というアニメコラムサイトに掲載していただく原稿の執筆もしていました。今週も何記事か載せていただいています。
さて、今回の記事は2017年の11月22日に各報道機関で報道された「TDL労災認定」に関する記事です。東京ディズニーランドという「夢の国」で労災が認定されたため、Twitterをはじめとするインターネットでも話題になっていましたね。
「TDL労災認定」報道を知って、私自身いろいろと思うところがありました。今回はTDLの報道から私が考えたことを書いていきます。
「TDL労災認定」報道について
「TDL労災認定」は、2017年の11月22日に各新聞社が発表したことで明らかになりましたね。とはいえ、この報道についてそこまで知らないという方もいるのではないのでしょうか。
というわけで、まずは本記事を書くきっかけとなった「TDL労災認定」報道がどのような内容なのかをまとめます。このまとめで、今回の記事を読んでいただいているみなさまに「TDL労災認定」報道の概要を理解していただこうと思います。
まあ、報道の内容をまとめるのは、私自身の理解を再確認する意味もあるんですけれどね(笑)
また、報道の内容をまとめるにあたって、各新聞社が2017年11月22日にインターネット上で公開した記事を見比べました。見比べた記事は以下の7記事です。リンクを掲載しておくので、情報源を確認したい方はこちらからどうぞ。
上記の7つの記事の内容を私なりにまとめました。まとめた内容を以下に書きます。まとめの内容は箇条書きになっている部分です。
「TDL労災認定」報道まとめ
- 東京ディズニーランド(千葉県浦安市)の契約社員の女性(28)に対して船橋労働基準監督署(同船橋市)が労災を認定していたことが明らかになった。女性はキャラクターの着ぐるみを着てショーやパレードに出演していた。
- 女性が腕に激痛が走るなどの疾患を発症したのは、過重労働が原因だったとして2017年8月10日に労災が認定された。
- 遊園地のショーなどにおいて、出演中の事故による負傷で出演者が労災認定されるケースは少なくない。しかし、過重労働と疾患に医学的な因果関係を判断することが難しく、今回のように事故による負傷ではない疾患が労災認定されるケースは珍しいようだ。
- 女性曰く、2016年10月末から肩甲骨に違和感を覚え、その旨を申し出ていたが、その後も11月から12月にかけて最大で1日に2回、計50回程度パレードに出演していたようだ。
- 2016年11月ごろから左腕が重く感じ、手の震えが止まらなくなったが、休みが取りにくかったため、出演を続けた。2017年1月に入って症状が悪化。左腕をあげると激痛が走り、左手を握っても感覚がなくなったそうだ。
- 診断の結果「胸郭出口症候群」であることが判明。治療のために休職することとなり、しばらくは自由に腕を動かすことができなかったとのこと。
- 女性の症状は改善しつつあるが、完治はしていない。女性は業務量を減らしての復職を求めているそうだ。
- オリエンタルランド広報部は「(今回の労災認定を)真摯に受け止めている。今後のケアや職場づくりに取り組んでいきたい」とコメントしている。
今回の「TDL労災認定」報道はだいたいこんな感じの内容です。つまるところ、TDLで着ぐるみの中の人をやっている女性が腕に疾患を抱えたことが労災であると認定されたということです。
着ぐるみの中の人って大変なんですね......。着ぐるみってだいたい10kgくらいあるらしいですよ。重いものだと10kgでは済まないらしいです。10kg以上あるウェイトを全身にまとって元気に見えるようにショーで動き回るのは、なかなかキツイと思いますよ。
しかも、着ぐるみって蒸れて暑いらしいですね。TDLの着ぐるみの構造がどのようになっているかは知りませんが、蒸れて暑い着ぐるみの中で激しく動くこともしんどいでしょうね。学生の夏休み期間に当たる8月あたりはキツそうですね......。
各新聞社の記事を比較してみた
「TDL労災認定」報道の内容は先述の通りです。報道の内容を調べるときに上記の7つの記事を読んだのですが、それぞれの記事で表記揺れやニュアンスの異なる表現、同じ表現、記述の有無といった記事ごとの誤差があることがわかりました。
ここでは、各新聞社の記事にみられる誤差をまとめて、それらの誤差について私があれこれ考えていきます。
また、誤差だけではなく気になった記述についても考えていきたいと思います。
朝日新聞デジタルの記事にある「休みが取りにくく」という記述
上記の7つの記事のなかで、朝日新聞デジタルの記事にだけ「休みが取りにくく」という記述がありました。以下に朝日新聞デジタルの記事のリンクを再掲しておきます。
「休みを取りにくく」という記述は、労災認定を受けた女性から得られた発言として記事の中で扱われています。「休みが取りにく」かったため、ショーやパレードへの出演を続けたという感じで記事では書かれています。
私が「休みを取りにくく」という記述から考えたことは、なぜ女性は「休みを取りにくく」なるような状況にあったのか、ということです。
この記事からわかるのは、休みを取ることが困難だったということだけです。どのような理由で休暇をもらうことが難しかったのかは一切書かれていません。
そこで、私なりに休暇をとることが困難な状況にあった理由を想像してみました。
考えてみた結果、以下の3通りの理由が想像できました。
- 雇用契約の内容そのものに問題があった
- 契約内容を無視した勤務を強制されていた
- 職場に「休みを取りにくく」なるような雰囲気・空気があった
私が想像した3通りの理由についてひとつずつ考えてみましょう。
あと、一応断っておきますが、ここに書いている3通りの理由はタングステンが勝手に想像したものであって、公式見解や事実ではありませんからね。
1.雇用契約の内容そのものに問題があった
雇用契約の内容に問題がある場合、オリエンタルランド側は契約内容の見直しが必要になるでしょう。また、これまでに契約をしてきた社員の方々の契約内容がどうなっているのかについても確認する必要があるでしょう。
この問題は雇用契約の内容を適切な内容に変更し、変更した契約内容通りに雇用を実行することで解決するので、3通りの理由のなかでもっとも解決が簡単だと思います。
2.契約内容を無視した勤務を強制されていた
契約内容を無視した勤務を強制されていた場合、オリエンタルランド側は職場の上下関係や労働者の管理状況を見直すなどの職場環境の改善を行なう必要があるでしょう。
この問題からは、TDLという職場の環境が腐敗していることを想起させます。腐敗した職場の状況を改善するために、第三者機関の監視の目の導入や社員各自に勤務状況の報告を徹底させるなどの対策が取られることが予想されます。
3.職場に「休みを取りにくく」なるような雰囲気・空気があった
職場の雰囲気・空気に問題がある場合、解決は非常に困難になるでしょう。個人的には女性が「休みを取りにくく」なる状況にあった理由は雰囲気・空気にあったのではないかと考えています。
「みんなも頑張ってるから、私も頑張らなきゃ」「自分が望んだ仕事で弱音は吐けない」「周りの人に迷惑をかけちゃダメだ」と労働者が自発的に考えるような職場の雰囲気・空気が蔓延していたのではないでしょうか。
この問題は容易に解決できるものではありません。目に見えない、具体的な形の見えないものをサクッと解決することはできません。それができたら、学校現場で起きている「いじめ」や特定の人びとに対する差別はとっくに解決しています。
それでも、オリエンタルランド側はこの問題に向きあう必要はあるでしょう。
各新聞社の記事にあるオリエンタルランドのコメント
上記7つの記事にはもれなくオリエンタルランド(広報部)のコメントが掲載されていました。7つすべての記事に載っているコメントには、共通している部分と表記が揺れている部分、記述の有無がある部分がありました。
以下では、7つの記事に掲載されているオリエンタルランドのコメントを比較してわかったことを書いていきます。
7つの記事すべてのコメントに「真摯に受け止めている」という旨の記述がある
7つの記事に掲載されていたすべてのオリエンタルランドのコメントにおける唯一の共通点が「真摯に受け止めている」という記述です。
「真摯に受け止める」というフレーズは不祥事の際の定番のフレーズですね。新聞やテレビのニュースなどでよく見かけますね。個人的な所感ですが、このフレーズは企業や団体の不祥事に多く使われているような気がします。いや、他にも使われているような気もしますね。
何かしらの事象が発生したときに、発生した事象を認めていることを示すためのフレーズなんでしょうね。「とりあえず『真摯に受け止める』と言っておけばいい」みたいな感じかもしれません。
まあ、これ以外に言いようがなさそうですけどね。
これからの対策の内容が揺れている
オリエンタルランドのコメントには「真摯に受け止めている」としたあとに、今後の対策について書かれていました。対策の内容として挙げられていることは基本的に「出演者に関するケア」でした。しかし、「出演者に関するケア」の記述には、記事ごとに微妙な違いがありました。
以下に、特に記述の違いが際立っているように感じた記事からコメントを引用しておきます。以下の引用文における、太字表記はタングステンによるものです。
TDLを運営するオリエンタルランドの広報部は取材に対し、「あってはならない残念なことで、真摯(しんし)に受け止めている。トレーナーの配置やコスチュームの改善など、これまでの対策に万全を期していく」としている。
オリエンタルランドは、「弊社の勤務で労災が認定されたことは真摯(しんし)に受け止めています。出演者に対するケアに、今後も取り組んでいきたい」とコメントしています。
同社広報部は、法定労働時間を超えた勤務や、誰もが耐えられない衣装の着用を強いるなどの過重労働を否定した上で、「真摯(しんし)に受け止めている。出演者に対するケアやより安全な職場環境づくりを今後も引き続き実施していく」とコメントした。
オリエンタルランドは「真摯(しんし)に受け止め、出演者のケアを進めていく」と話している。
ディズニーランドを運営するオリエンタルランドによると、(中略)着ぐるみや衣装の重さは10キロ前後が多かったという。ただ、他の出演者に比べて突出して出演回数が多かったり、衣装が重かったりしたことはないという。
オリエンタルランド広報部は「当社の業務に起因した労災と認定されており、真摯(しんし)に受け止めている」とコメントしている。
上記の引用文を見比べてもらうとわかるのですが、すこしずつニュアンスが違っているんですよね。ただ、どのコメントも「出演者に関するケア」について書いていることは確かです。
ニュアンスの違いとして挙げることができる部分はいくつもあります。たとえば、朝日新聞デジタルの記事には唯一「トレーナーの配置やコスチュームの改善」という具体的な対策の内容が記載されています。
NHKニュースの記事では「出演者に対するケアに、今後も取り組んでいきたい」とされています。
毎日新聞の記事には、ケアだけではなく「より安全な職場環境づくり」についても言及されていました。さらに、過重労働を否定する記述もありましたね。
産経ニュースの記事には、労災認定を受けた女性が他の出演者に比べて過度な労働をしていたわけではないという旨の記述があります。
先に書いた「TDL労災認定」報道の内容をまとめたものには、これらの異なる記述を合算してオリエンタルランドのコメントを書いています。しかし、各記事によってコメントのニュアンスが異なることは見過ごせないと思います。
特に過重労働を否定している毎日新聞と、女性の労働状況が過度なものではなかったと明記している産経ニュースの記述は重要でしょう。わざわざこれらの記述をしているのはなぜなのでしょうね。
私の邪推かもしれませんが、産経ニュースの記事に出てくる「他の出演者に比べて突出して出演回数が多かったり、衣装が重かったりしたことはない」という記述には、今回の労災認定を個人の問題に還元しようという思惑があるように思います。
TDLの出演者全員に当てはまることではなく、当該の女性という一個人がたまたま疾患を発症し、労災認定されただけで、他の出演者には当てはまらないということを強調したいのではないかと思ってしまいます。
「着ぐるみ」という表現
今回の報道において「着ぐるみ」という表現はもっとも人の目を引くものであったと思います。私が読んだ7つの記事のすべてで「着ぐるみ」という表現が使用されていました。
私に限らず、みなさんもそうだと思いますが、ディズニーが関わる報道ではっきりと「着ぐるみ」と表現されたことに驚いたのではないでしょうか。私自身「『着ぐるみ』って言っちゃってるよ......。D社的にええんか?」と思いました。
さらに、朝日新聞デジタルの記事では「トレーナー」「コスチューム」という用語が登場していました。TDLの「夢の国」のメッキがはがれて、リアルな部分が露出しているような感じですね。
「着ぐるみ」表現に対する意見
先にも述べているように、「TDL労災認定」報道において、「着ぐるみ」という表現が使われていることに私は驚きました。「着ぐるみ」という表現に驚いたのは私だけではなかったようで、インターネット上でもさまざまに意見が飛び交っていました。
また、2017年11月23日放送分の「とくダネ!」(フジテレビ系)における、古市憲寿氏の発言も話題になっていました。古市氏は社会学者としてさまざまなテレビ番組に出演していますね。たびたび炎上をするので、知っている人も多いのではないかと思います。
余談ですが、私は古市氏が「社会学者」と紹介されていることに疑問を覚えます。彼を「社会学者」と紹介しているがために、日本において社会学の評判が下落しているように思います。
それに、彼は「社会学者」というより「社会学研究者」ではないかと思います。個人的なイメージですが、社会学者というとどこかの大学で教授ないし准教授をやっている社会学研究者のように感じます。私の知る限り、彼は教授や准教授になっているわけではないはずです。教授や准教授ではないという意味において、彼は社会学者ではなく社会学研究者だと思います。
また、古市氏の著作を読んだことがないので、正確なことは言えませんが、彼の研究内容は優れたものではないかと思います。ただ、メディア露出の際の発言が(現在の日本において)過激なものとして扱われてしまうことが多いだけではないかと思います。
話をもどします。
ここでは、「とくダネ!」における古市氏の発言がどのようなものだったのかを紹介します。そのうえで、「着ぐるみ」表現に対する意見、特にインターネット上でみられた意見をまとめます。
2017年11月23日の「とくダネ!」における古市憲寿氏の発言
「とくダネ!」における古市氏の発言内容はどのようなものだったのでしょうか。実際の映像がYoutubeにアップロードされていたので、以下に動画を貼り付けておきます。
古市憲寿、ディズニーの労災報道に本音ww「着ぐるみって、言ってもいいんですか?」「ディズニーファンって、めっちゃ怖い」
古市氏の発言に関するネット記事もいくつかあるので、そちらのリンクも以下に載せておきます。
映像と記事によると、古市氏は今回の報道に対して「(オリエンタルランド側は)ちゃんと安心できる職場を提供する必要がある」と指摘したうえで、「着ぐるみ」と表現することは問題ないのかを「とくダネ!」MCの小倉智昭氏に問うています。以下に古市氏の質問から質問に対する返答までの一連の流れを文字に起こしておきます。文字起こしの部分は箇条書きにしています。
- 古市「ちなみに、これ『着ぐるみ』って言ってもいいんですか?」
- 海老原「それ気になりました。『着ぐるみ』って言っていいのかなって」
- 古市「だって、ディズニーファンってめっちゃ怖いじゃないですか。ディズニーファンって『着ぐるみ』じゃないとかって...」
- 小倉「だってこれは、その話をしないとそこ(労災)にいかないから、やむなく(『着ぐるみ』の)お話をしました...」
- 笠井「すべての報道でこの件に関してはそう(『着ぐるみ』と表現することに)なっています」
- 小倉「本当はそう(『着ぐるみ』)じゃありません(笑)」
ここで新事実が発覚しました。笠井アナウンサーの発言によって、今回の報道における「着ぐるみ」表現は統一された表現方法であることがわかりました。個人的な所感ですが、報道側で決められた特定の表現方法が報道側から明らかにされることはあまりないように思います。
さらに、小倉氏の発言によって、「着ぐるみ」表現は話を労災に運ぶために"やむなく"使用していることがわかりました。"やむなく"と言っているところが興味深いですね。どうして"やむなく"なのでしょうか。
あくまでも私の推測ですが、「着ぐるみ」という表現は本意ではなく仕方なく使っていて、出来るのであれば使用したくないという想いがあるのではないかと思います。だから、最後に小倉氏が「本当は『着ぐるみ』ではない」とわざわざ言っているのでしょう。古市氏が言うところの「怖いディズニーファン」への配慮なのでしょうか。
もう一つ興味深いと思ったのが、古市氏が「着ぐるみ」表現が大丈夫なのかを問うたときに、海老原アナウンサーが「私も気になる」と古市氏の質問に乗ったことです。
一見すると、海老原アナが「私も気になります!」と言っただけです。しかし、すこし考えてみてください。笠井アナは「着ぐるみ」という表現が統一されたものであることを知っていたのに、どうして海老原アナは知らなかったのでしょうか。
この疑問には2通りの回答が考えられます。(1)笠井アナと海老原アナの担当する職能の違いによってアクセスできる情報や確認する必要のある情報に差がある、(2)古市氏の質問から小倉氏が「本当は『着ぐるみ』ではない」と発言するまでの一連の流れが台本通りだった、の2通りが考えられます。
(1)だった場合は、たんに気になっただけで話が終わります。(2)だった場合は、何故台本を用意してまで「着ぐるみ」表現の真相について説明する必要があったのかという新たな疑問が生まれます。
ただ、個人的に海老原アナが「着ぐるみ」表現の真相を知らなかった理由は(1)だと思うので、(2)についてこれ以上掘り下げることはやめておきます。これ以上掘り下げると、どんどん本題からズレていってしまいますから(笑)
「着ぐるみ」表現に対する批判的な意見
「TDL労災認定」報道における「着ぐるみ」表現に対して、少なからず批判的な意見がありました。特にTwitterをはじめとするインターネット上で批判的な意見がみられました。
以下に、批判的な意見がみられたサイトのリンクを掲載します。
ここで挙げているサイトはすべてまとめサイトです。2ch(今は5ch?)系まとめサイトやTwitter系まとめサイトなので、どこまで信用できる内容が書いてあるかはわかりません。意見にはネタとして書かれているものもあるとは思いますが、以下に意見をまとめておきます。まとめている内容は箇条書きにしています。
- 夢こわれる
- 着ぐるみなんてない、生々しい
- 着ぐるみとか言わないで
- 着ぐるみってなに?中身なんてないだろ
- 「サンタは親」はいいけど、これ(「着ぐるみ」)はダメ
- 小さい子も見てるからやめて
- リアル過ぎて夢の国じゃない
なかなか面白い意見がありますね。特に太字になっている部分は興味深いですね。夢ないし「夢の国」(というイメージ)が壊れてしまうような生々しくてリアルな表現を批判するような意見が多いですね。
また、小さい子が見る可能性を危惧する意見もありますね。「小さい子」というのは子どものことを指しているのでしょう。子どもの夢が壊れてしまうことを避けたいという想いがあるのでしょうか。
サンタクロースが親(架空の存在)であることを公言することは容認しても、TDLのキャラクターを「着ぐるみ」であると公言することはダメという意見も、子どもの夢が壊れることを避けたいという想いによるものでしょうか。もしかすると、子どもに限らないかもしれませんね。
ここで取りあげた意見から見えるのは、TDLが「夢の国」として存立することを望む社会があるということです。勘違いしないでほしいのですが、社会の全体が「夢の国」の存立を望んでいると主張しているのではなく、社会の一側面に「夢の国」の存立を望む意見があるということです。「みんながそうなんだ!」と一般化しているわけではありません。
「夢の国」であることを求められるTDL
先に書いたように、「着ぐるみ」表現に対する批判的な意見から、TDLが「夢の国」として存立することを望む社会があるのではないかと考えました。
ここでは、「夢の国」であることを社会に要請されるTDLについて考えます。
TDLが「夢の国」という役割を要請されることを考えるにあたって、大修館のWEBサイトの国語情報室で連載されていた「わたしたちはなぜディズニーランドへゆくのか――遊園地の政治学」(長谷川一 著)を参考にします。
この連載記事は全6回の記事です。以下に第1回目の記事のリンクを掲載しておきます。
全6回の連載記事をすべて読んだうえで、私の興味を引いた部分を参考にして、「夢の国」であることを社会に要請されるTDLを考えていきます。
TDLの物語性と「内部」・「外部」
まずは、以下の動画を見ていただきたいと思います。
この動画は2012年に放送されていた東京ディズニーリゾートのテレビCMです。2013年の4月に開園30周年を迎えることを記念したCMだったそうです。
CMのテーマは「夢がかなう場所」で、主人公の女性「舞浜ゆめの」の人生が描かれています。先に紹介した長谷川氏の連載記事でも、このCMが紹介されていました。
長谷川氏曰く、このCMはエンディングを含む9つのシークエンスで構成されており、各シークエンスが主人公の生涯発達のいくつかの段階(ライフステージ)に対応づけられるとのことです。
9つのシークエンスについて以下にまとめておきます。また、各シークエンスに関して、長谷川氏が特徴的だととらえている事柄も記載しておきます。
- 幼年期:ホームビデオ的な雰囲気
- 小学生時代:第5シークエンス(花嫁)の隠喩
- 高校生時代:のちに恋人となり結婚をする青年ケンとの出会い
- ケンと恋仲に:高校生から大人への成長を描いている、低彩度で懐古的なイメージ
- 結婚式:唯一ライフイベントが描かれている
- 母になる:娘かのんは第1シークエンスのゆめのに瓜二つ
- 花火のシーン
- 老後:ゆめのの隣には年老いた男性(恐らくケン)がいる
- 「夢がかなう場所」というコピーが提示される
ちなみに、第5シークエンスに登場する結婚式だが、TDLがパーク内での結婚式を商品化したのは2012年(CM放送年)の9月です。
長谷川氏は第5シークエンスの時間軸を現在(2012年秋)であると仮定し、それ以前を過去、それ以降を未来ととらえることで、いっそう興味深いことになると述べています。未来にあたる第6シークエンス以降は、ゆめのの「夢」として理解することができるかもしれないとも述べています。
ここまでで、CMがどのような構成でできているのかがわかったのではないかと思います。長谷川氏はこのCMの特徴として、説話的な構造と主人公「舞浜ゆめの」の世界がTDL内で完結していることを指摘しています。
説話的は換言すると、物語的ということです。要するに、CMの内容は物語性を帯びたものだということです。9つのシークエンスを見ればわかるように、ゆめのの人生を描いているCMなので、物語性についてはわかりやすいのではないかと思います。
ゆめのの世界がTDL内で完結しているというのは、CMにおいて、TDL外部が一切描かれていないことからきている指摘です。CMで描かれているゆめのの人生のすべては「内部」の出来事であり、「外部」での人生は完全に排除されています。
つまり、ゆめのはTDLという「夢の国」の中でのみ存立しうる存在であり、TDLは「内部」だけで人生という物語を成立させることを可能にしていることが示されています。
特に、「内部」だけで人生という物語を成立させている(ように見せている)ことで、「内部」と「外部」を分断しているところが興味深いですね。「内部」と「外部」を分断することにどのような意味があるのでしょうか。
「日常」と「非日常」 ――虚構化する日常世界
長谷川氏はゆめのが「内部」でのみ存立する存在であることから、ゆめのがCMで描かれている物語の主人公であると同時に、物語を視聴するわたしたち自身でもあると述べています。
ゆめのの「内部」だけで人生を完結させようとする生存様式が、そのままわたしたち自身にも当てはまるとし、日常がディズニーランド化していると述べています。
ただ、一般的にTDL、引いては東京ディズニーリゾートは「夢の国」、つまり「非日常」としてとらえられています。「日常」ではないモノ(経験、状況など)を与えてくれるという意味において「非日常」なのです。
しかし、長谷川氏は「非日常」とは「日常」を否定している概念で、あくまでも「日常」という概念を参照することによってのみ成立する二次的な概念としてとらえています。そして、「非日常」は「日常」の一部だと述べています。
そして、長谷川氏はボードリヤールの「シミュラークル」という概念を紹介しています。シミュラークルとは「もはや代行(表象)すべき現実(実在)が不在であることを前提にしており、かつその不在を隠すような記号」のことです。この説明では難しく、理解しにくいのではないかと思います。私自身も完璧に理解できていません。
理解しきれていませんが、私なりにシミュラークルを解釈しておきます。この概念は記号を示しています。どのような記号かというと「表されるべきモノ(現実、実在など)が無いけれど、それが無いことを隠そうとする」記号です。
長谷川氏はシミュラークルについて説明したうえで、TDLが社会全体が虚構化していることを隠蔽するものとして機能しており、その意味で徹底してシミュラークルであると述べています。
TDLをシミュラークルと考えて、先述した私なりのシミュラークルの解釈に当てはめてみましょう。当てはめてみればわかるかもしれません。
「『表されるべきモノ(=社会全体)が無いけれど、それが無いことを隠そうとする』記号(=TDL)」
うーん......、どうでしょう?
私はなんとか理解できたので、先に進むことにします。
そして、「シミュラークル化=ディズニーランド化」として、日常のディズニーランド化を「わたしたちの暮らす現実の日常世界自体が虚構化していることを意味している」と述べています。
TDLが「非日常」を提供する空間ではなく、日常世界の虚構化を隠す機能を担っているとしている点が面白いですね。すなわち、TDLが存在することで「非日常」っぽいものが社会に提示され、結果として「日常」っぽいものが浮かび上がってくるということです。
そして、TDLが提示した「非日常」っぽいものと、浮かび上がってきた「日常」っぽいものは二分化された概念としてとらえられるのでしょう。しかし、長谷川氏曰く、「非日常」は「日常」の一部なので、別のものとして二分することはできません。
それでも、世間はTDLを「非日常」を提供してくれる「夢の国」として認識しています。それどころか、人びとは「夢の国」に「非日常」を求めています。現実には、TDLが「非日常」っぽいものをわたしたちに提供することで、日常世界の虚構化を隠蔽することに成功しています。
良いですね。読んでいて納得しました。
「外部」と「俯瞰」の排除――観覧車のない遊園地
TDL「内部」で描かれる物語性と排除される「外部」、TDLが虚構化する日常世界を隠蔽していることを長谷川氏の指摘に沿って書いてきました。
長谷川氏はTDL、引いては東京ディズニーリゾート内に観覧車がないことを指摘し、その理由として以下の2点を挙げています。
- 「外部」の排除
- 「俯瞰」する視線の排除
理由として挙げられている2点をそれぞれ考えましょう。
1.「外部」の排除
開園30周年記念CMにおいて、主人公「舞浜ゆめの」の人生が「内部」で完結していることを指摘しましたね。ここにも「外部」の排除がみられることは先にも述べています。
TDLは「外部」を極力排除するようになっています。なぜなのでしょう。
その理由は、TDLの来場者がパーク内の「物語」に自発的に没入してゆくときに「外部」が感じられてしまうことが興ざめになってしまう可能性があるからです。
「内部」で展開される物語に入っていくときに、「外部」は邪魔なものとなるのです。
ここで、観覧車について考えてみましょう。遊園地における観覧車とはどのようなアトラクションでしょうか?
観覧車というと、大きな車輪状のフレームの周囲にいくつも個室がついていて、それぞれの個室から外の景色を見ることができますね。観覧車に乗る主な理由は、高所からの眺めを楽しむためではないかと思います。
一般的な遊園地――「ひらかたパーク」や「よみうりランド」――の観覧車では、高所に達したときにパーク外を含む眺望を望むことができます。
ここまで書くと、TDLに観覧車がない理由がわかるのではないでしょうか。
TDLにおいて「外部」を望むことができる状況は物語への没入感を削ぐ可能性があるので、好ましくありません。
TDLは「外部」を排除するための空間設計がされており、「内部」と「外部」を厳しく分断した閉鎖的な空間になっています。「内部」から「外部」を見えなくしているだけではなく、「外部」から「内部」を伺うことを困難にもしています。
このようにして、TDLは徹底的に「外部」を排除しています。
2.「俯瞰」する視線の排除
長谷川氏曰く、高い位置から広い範囲を一望的に把持する「俯瞰」の視線は、対象と距離をとるという側面を不可分に含んでいるそうです。そして、距離をとることは冷静な把握を可能にするため、TDLにおける物語への没入と正反対のベクトルが生まれてしまいます。
観覧車は高所から広範囲を望むことを可能にするアトラクションです。それこそ「俯瞰」の視線を送り放題ですね。「俯瞰」しまくることができますよ(笑)
「内部」の物語に没入する(させる)ためには、来園者の冷静な把握を抑える必要があります。私個人はTDLのような物語性を前面に押し出したテーマパークにどこかカルト的な要素があるように思っています。物語への没入とはすなわち、良くも悪くも正気を失わせることによって実現している状態ですよね。古市氏みたいなことを書きますが、正直なところちょっと怖いと思ってしまいますね。
また、TDLは敷地内の高低差を極力抑えることによって、「俯瞰」を可能にするような相対的に高い場所を排除しているそうです。いや、ホントにすごいですね...。ちょっと引きますわー。
このようにして、TDLは徹底的に「俯瞰」の視線を排除しています。
まとめ ――「夢の国」という幻想と現実――
ここまで、長々とずーっと書いてきました。
最後にここまで書いてきた内容をまとめておきます。読んでくださった方はこれまでの内容のおさらいをしてもらえるとうれしいです。私にとってはここまで何を書いてきたのかをおさらいするパートになりますね(笑)
そもそも、今回の記事は「TDL労災認定」報道に端を発しています。この報道に対していろいろと気になるところ――特に「着ぐるみ」表現に関して――があったので、ブログでそれについて書こうと思いたちました。
本記事の構成は、(1)「TDL労災認定」報道の内容をまとめて、(2)各新聞社の記事を比較して気になった部分をピックアップして考え、(3)「着ぐるみ」表現に対する古市憲寿氏の発言と批判的な意見に注目して、(4)「夢の国」であることを要請されるTDLについて長谷川一氏の連載記事を参考に考察し、(5)(1)~(4)をまとめています。
ここまで(1)~(4)を書いてきて個人的に感じたのは、社会がTDLを「夢の国」として存立させたがっていることです。2017年の8月10日にTDLの契約社員の女性が労災認定を受けたことが同年11月22日に明らかになったことは事実です。
労災認定を受けた女性はキャラクターの「着ぐるみ」の中の人をやっていたことも確かなことです。今回の報道で、「着ぐるみ」の中の人がいかに大変なのか、TDLのショーやパレードに出演しているキャストの労働の一側面などが明らかになりました。
これらは、TDLに限らず、テーマパークで働いている人びとにとって事故のない疾患に対する労災認定の前例を得るという大きな前進だと思います。また、他の労働者、特に肉体労働者が事故のない疾患にかかったときに労災認定を受けることができる可能性が向上したという点でも前進ではないかと考えます。
しかし、社会のなかで「着ぐるみ」と表現をして労災認定の報道をすることに対して「夢がこわれる」「小さい子が見ているかもしれない」「(表現が)リアルで生々しい」と批判をする声があることも事実です。
確かに、批判の内容はごもっともです。TDLのキャラクターを「着ぐるみ」と表現することで、「夢の国」のイメージが脆弱になるかもしれません。子どもの「夢」を壊してしまうかもしれません。「着ぐるみ」という表現や労災認定は「リアルで生々しい」でしょう。
ただ、それが現実なのです。
「夢」を大切にすることも良いことだと思います。
だけど、見ていたい「夢」を優先して、TDLの「着ぐるみ」の中の人の労災認定という「現実」から目を背けるのはダメではないでしょうか。「リアルで生々しい」事象をとらえることも必要だと思います。
「夢の国」の幻想を存立させるために、「現実」と向き合う必要があるのではないかと思います。
おわりに
今回はかなり長く書いてしまいました。
下調べを含めると、書きあげるまでに3日くらいかかりました。
久しぶりにじっくりと調べて書きましたが、やはり大変ですね。
でも、自分なりにではありますが、しっかりと調べてから書く記事は良いですね。書いているときは楽しいですし、書き終わったときは格別の充足感があります。
こういった記事を書くことは大事だと思います。
今回はここまでにしましょう。
ここまで読んでくださった方に、心から感謝いたします。
それでは('ω')ノ