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自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです。日常生活のことや社会のことをざっくばらんに書いています。

「休日」を考察する ~「家/外モード」の使い分け~

今週のお題「休日の過ごし方」

 

どうも、こんにちは。

タングステンです。

 

今回はお題に沿って記事を書いていきます。

 

ここ数回の記事は「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」関連の記事しか書いていなかったので、ちょっとした息抜きがてら趣向の違う文章を書いてみようかなと思った次第です。

 

というわけで、今週のお題「休日の過ごし方」で書いていきますよー。

 

休日は家から出ません

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見出しの通りです。

 

私は休日に外出することはありません

 

もちろん、土日を利用して街をうろうろしたり、ライブに行ったりすることはありますが、私にとってこれらは休日ではありません。

 

私のなかの休日の定義は「家から出ずに心身ともに安息できる日」です。

 

私の休日の定義を説明するのは、少々難しいように思います。

それなので、私が休日ではないと捉える日について以下にまとめておきます。

  • 仕事・学校などを理由に、当人(筆者自身)が外出する必要がある日
  • 仕事・学校・私情を問わず、当人が自身の意思で外出をする日
  • 当人の外出の有無は問わず、自宅で来客者と接する日

 

上記の3つに該当しないと私が判断した日が、私にとっての休日です。

 

先に述べているように、遊ぶための外出は休日ではありません。

また、家にいることができても、お客さんが家に来る日は休日ではなくなります。

 

モードの切り替えと外/家

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先に述べたような休日の定義をしているのには理由があります。

 

 

私はうまるちゃんです(真顔)

 

 

...すみません、すこし説明が足りませんね。

 

ご存知の方もいると思いますが、「うまるちゃん」とは「干物妹!うまるちゃん」という作品に登場するキャラクターのことです。

 

原作はマンガですが、2017年11月現在、アニメの2期が放送されています。

umaru-ani.me

 

上部で掲載している画像のキャラクター(両方とも)が「うまるちゃん」です。

 

さて、どうして私がうまるちゃんなのかというと、私がうまるちゃんと同じで家と外で別人のような振る舞いをしているからです。

 

つまり、日常生活を送るうえで、「家モード」と「外モード」の使い分けを行なっているということです。

 

あと、一応書いておくと、私自身はうまるちゃんのように容姿端麗ではありません。可もなく不可もない平凡な顔(だと思いたい)です。

 

「家モード」について

「家モード」は私が何も気をつかうことなく、好きなように過ごしている状態です。いわゆる、「素」の状態です。

 

私は以下の条件下でのみ「家モード」になります。

  • 自宅に一人でいるとき
  • 自宅にいて、周囲に両親しかいないとき

 

上記の条件に該当する状況・場面のみ、私は「家モード」なります。

うまるちゃんでいうと、「干物妹(ひもうと)」の状態(上部画像、左側)です。

 

私にとって、「家モード」は「何も偽ることなく自分をさらけ出せる状態」です。

 

「家モード」に該当する条件以外の状況・場面で、私が「家モード」なることは99.9%あり得ません

私の「家モード」が露見するのは、私の「家モード」について詳細に知る人間、つまり両親が「家モード」の私に関する話を誰かにしてしまう場合のみです。

 

「外モード」について

「外モード」は私が「家モード」になる条件下以外における私の状態です。

 

「家モード」が「素」の状態なのに対して、「外モード」は「故意に作りあげた」状態です。

うまるちゃんでいうと、「美妹(びもうと)」の状態(上部画像、右側)です。

 

私の「外モード」にはかなりの数の段階とグラデーションがあります。

ここでそのすべてを紹介していると、膨大な文章量になってしまうので紹介は控えます。紹介以前に、私自身が自分の「外モード」を完全に把握できていないので、うまく紹介できません。

 

私がこれまで生きてきた21年間で経験したさまざまな出来事を踏まえて作られたのが、私の「外モード」です。

  • 」に対して、「どのような」対応をするのか。
  • あの人」は、「」に「なに」を求めているのか。
  • 」は、「その状況・場面」において「どういった役割」を期待されているのか。
  • 相手」が欲している「言葉(答え)・態度」に則した自分を提示できるか。
  • 」は「どのような私」を「他者」に提示したいのか。

 

このようなことばかりを考えて、中学・高校時代を過ごし続けた結果として「外モード」が形成されました。

 

「外モード」は私が日々を生きていくなかで、常に変化を続けています。

たとえば、私が大学に入学してからはじめた接客アルバイトの影響で、私の「外モード」は厚みを増すことになりました。

 

接客業務を通じて、相手(お客様)の要望や行動を予測して、適切な反応を示す訓練をしました。

作り笑顔も「作っている」という感覚が消えました。いわゆる「自然な作り笑顔」ができるようになったのだと思います。

 

「外モード」と「A.T.フィールド

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私は接客業務を通じて「外モード」の厚みを増やしました。

別の言い方をするなら、「A.T.フィールド」の枚数と効果範囲が増えたというところでしょうか。

 

「『A.T.フィールド』」とはなにか?」という議論は、多くの人が広範に行なっているので、ここではその議論については置いておきます。

 

A.T.フィールド」は、「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズに登場するバリアのことです。作中では、渚カヲルが『「ヒトの持つ心の壁」が「A.T.フィールド」の正体』だと示唆しています。

 

A.T.フィールド=心の壁」であると考えるならば、私が「外モード」の状態でいるときは、常に「A.T.フィールド」を展開している状態であることになります。

 

また、先の「『外モード』について」のはじめで書いているように、私の「外モード」にはかなりの数の種類とグラデーションがあります。

 

この「かなりの数の段階とグラデ―ション」が「A.T.フィールド」の枚数と効果範囲を指しています。つまるところ、私の「外モード」と「A.T.フィールド」は以下のように結びついています。

 

対峙する相手によって何枚の「A.T.フィールド」を展開するのか。また、直面した状況・場面に応じてどの程度の効果範囲で「A.T.フィールド」を展開するのか。

これらを意識的に、あるいは無意識的に考えて他者とやり取りをしています。

 

この記事を読んでいるみなさんも、多かれ少なかれ私と同じように「A.T.フィールド」を展開しているのではないかと思います。

 

たとえば、職場の「私」と家庭の「私」が異なるという人は一定数いるでしょう。職場のなかでも、上司・同期・後輩のそれぞれに対応する「私」がいるのでしょうか。

 

学校生活でも同じですね。教師や教員とクラスメイトでは接し方が変わりますよね。クラスメイトのなかでも、相手によって対応は変わるでしょう。

 

そのような対応こそ「A.T.フィールド」を展開している、すなわち「外モード」の状態でいるときの対応です。

 

「外モード」はつかれる

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休日の過ごし方を書いているなかで、休日と休日ではない日の定義を説明しました。そのあとに、「家モード」と「外モード」についてさまざまに書いてきました。

 

先にも述べているように、私は休日は外に出ません

 

休日に外出をしない理由は、つかれるからです

正確には、外出をすると「外モード」の状態を維持しなくてはならないので、心身(特に心)につかれがたまります。

 

「外モード」について、「A.T.フィールド」を取りあげながら説明しましたが、つまるところ、「外モード」の状態を維持するのはしんどいです。

 

「外モード」の状態でいるときの基本的なスタンスは「他者を忖度する」です。

要するに、「誰かを思いやる精神」に従って自身の行動を決定することです。

 

「誰かを思いやる精神」と表現するとすばらしいものに見えますが、結局のところ「自分を顧みずに他者のことを推し量る」ことでしかありません。極端に言えば、「自己犠牲」のうえに成立している思いやりです。

 

私が「他者を忖度する」理由は、誰かを思いやるためではありません。私が「他者を忖度する」のは、たんなる自己防衛です。

 

人と人が交わることによって生じうるトラブルやすれ違いなどのリスクを極力避けるための盾、それが私の「外モード」です。

エヴァでは、「A.T.フィールド」がバリアとして描かれていますが、バリアとしての「A.T.フィールド」は、私が考える「外モード」を見事に表しているように思います。

 

「外モード」を維持するとつかれる。だから、休日は外に出ないのです。

 

休日は「外モード」ではなく、「家モード」で過ごしていたいです。

 

「家モード」はつかれないのか?

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ここで、新たな疑問が生じます。

 

『外モード』はつかれるとのことだが、『家モード』はつかれないのか?

 

そうですよね。

「外モード」でいるとつかれる。だから、「家モード」は楽に過ごせる。これではすこし説明不足ですよね。「外モード」がつかれるからといって、「家モード」がつかれないとは限りませんからね。

 

まあ、結論から申し上げますと、「家モード」は超絶楽に過ごすことができます

 

先にも述べているように、私にとって「家モード」は「何も偽ることなく自分をさらけ出せる状態」です。言い換えるなら、「心身のリスポーン地点」です。

 

「外モード」でいたときの疲労を回復するためには、「家モード」でいる時間が必要です。「家モード」の状態の私は「他者を忖度する」ことをほとんど考えていません。

 

私が「家モード」でいれると判断した状況・場面は、自己防衛機能としての「A.T.フィールド」を展開する必要もありません。

 

結局、休日はどのように過ごすの?

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ここまでさまざまに書いてきました。

 

大きく風呂敷を広げましたが、ここで風呂敷を包みたいと思います。

 

考察から浮かび上がる結論

風呂敷を包むために、ここまでに提示した自論をまとめましょう。

  • 私にとって休日とは「家から出ずに心身ともに安息できる日
  • 外モード」はつかれる
  • 本当の意味で休息をとれるのは「家モード」でいるときだけ
  • 先に提示した「自宅に一人でいるとき」「自宅にいて、周囲に両親しかいないとき」という2つの条件下でのみ、私は「家モード」になる

 

以上の理由により、私は休日は外出せずに家で過ごします。

 

家でなにをするのか?

じゃあ、「休日は家でなにをしているのか?」となりますよね。

本来は休日に家でしていることを書くつもりだったのですが、書いているうちにテンションが上がってしまい、休日を考察する記事になってしまいました。

 

うまるちゃんに「A.T.フィールド」とアニメ・マンガを引っぱり出し、さらに、「私(自己)と他者」といったアイデンティティ論につながりそうな話まで持ち出して長々と書いてしまいました。

 

休日は家で過ごすので、当然家のなかでできることをしています。

いろいろなことをやっているので、思いつく限り箇条書きにしてみましょう。

  • 読書(新書、学術書)
  • アニメ鑑賞
  • 音楽鑑賞
  • ブログ執筆
  • ゲーム(デレステFGO、麻雀)
  • 料理
  • 睡眠

 

......なんというか、超インドアですね、私。

そして、上記のほとんどが一人でできることです。

 

まあ、幼いころから一人遊びが好きで、暇があればミニカーを走らせたり、レゴで遊んだりしていたので、幼少期の影響もあるかもしれないですね。

 

 

おわりに

いろいろと書いてきましたが、今回の記事はこのくらいにしておきましょう。

 

ああ、そういえば、このブログもついに100記事を超えました

 

この記事が101記事目ですね。2016年の2月(だったような気がする...)からはじめたブログですが、なんだかんだで100記事書くまで続けることができました。

 

読んでいただいているみなさん、そしてこれから読んでくださるみなさんには心より感謝の意を表します。

 

ありがとうございます。

そして、よろしくお願いいたします。

 

それでは(^^)/