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好きに自由に書かせてください( ..)φ

自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです(^O^)社会で起きている出来事や、アニメ・ゲーム・漫画といった「おたく文化」などについて自分の思うことを好きに書かせてもらっています。つたない文章かと思いますが、あたたかい目で見守ってください(笑)よろしくおねがいします!!

「ビジネスにおける女性差別」の実態から考える女性差別

社会

 

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 こんにちは、私です。
 3月も半分を過ぎようとしていますね。

 今回は女性差別についてとある記事をもとにあれこれ書きたいと思います。

 

 

 まずは、以下の記事をご覧ください。

www.huffingtonpost.jp


 こちらの記事は、ハフィントンポスト日本版に掲載されていた記事です。記事の内容は、ペンシルバニア州フィラデルフィアに住む男性マーティン・R・シュナイダーさんがとある出来事をきっかけに同僚の女性ニコル・ハルベルクさんが「目に見えにくい差別」に直面していることに気付いたことが書かれています。この「目に見えにくい差別」の対象は女性です。そして、シュナイダーさんはニコルさんと2週間お互いの名前を交換してクライアントとのメールを行うという実験をしました。その実験での経験も記事内に書かれています。
詳しい記事の内容は実際に読んでもらえば分かるので、ここでは割愛させていただきます。

 このハフィントンポストの記事はアメリカにおける女性差別の現実の一つを写し出しているものであると思います。ニコルさんは女性であるというだけでクライアントからぞんざいに扱われたり、無視されたりすることが日常的にあったようです。
 また、記事後半にもありますが、シュナイダーさんの上司はニコルさんに「私は女性を雇おうと思っていなかったんだ。」と発言しています。このことより、就職の時点で女性は男性に比べて不利な立場であることも分かります。

 

 さて、これらの女性差別、言うなれば、ビジネスにおける女性差別はアメリカに限った話ではありません。日本にも根強く存在しています。多くの人が目を背け、気づかないフリをしているだけで女性差別は確かに存在しています。もしかすると、こんな風に記事を書いている私も知らず知らずのうちに女性差別と捉えられるような言動及び行動をとってしまっているかもしれません。そのくらい女性差別は目に見えにくく、さも当たり前のことのように存在しているのではないかと思います。

 ビジネスにおける女性差別の存在は決して良いものではないです。良くないのであればなくしたほうが良いです。それではビジネスにおける女性差別をなくすにはどうすればよいのでしょうか。
こういった問いに対して出される答えとして多いものは、「法律や社則を変える、あるいは作ればいい。」というものです。「ルールを定めてしまえばいい」という類の答えは確かにその通りです。きちんとルールを決めて、そのルールに則って女性への差別をなくしていこうという考え自体はとても良いものであると思います。
 ただ、よいと思うのはその考えだけです。たとえルールを定めても、人々に根付いた差別意識を払拭することは簡単なことではありません。「女性は男性を支えるものだ」「女性らしさとはこういうものだ」「こういった事柄は女性には向いていない」などのステレオタイプな考え方を変えることはそう容易なことではありません。ルールが定められたとしても、結局水面下で女性差別が行われることになります。現に日本では「男女共同参画社会」「一億総活躍」「女性の社会進出」などと謳われていますが、実際は就職差別や職場での女性蔑視発言などが横行しています。国会でも女性議員に対して「早く結婚しろ」「子供産め」といった女性への侮蔑ととれる内容のヤジが飛んだことが問題となりましたね。
 このように、ただルールを定めるだけで女性差別をどうこうすることは不可能なのです。それどころか、女性差別をしてはいけないというルールを作った側の人間が女性蔑視発言をしています。このことからも、ルールを定めるだけで女性差別を何とかすることができないことがよくわかるのではないかと思います。

 

 それでは、女性差別をなくすためにはどうすればいいのか。この問いは皆さん自身にも考えてもらいたいと思っています。もちろん私も考えていますよ。私は女性が何か不当な扱いを受けているかもしれないと注意して物事を見ることが必要だと思います。
 先にも述べましたが、人々に根付いた差別意識を払拭するのは簡単ではありません。今回は女性差別を取り上げていますが、部落差別や在日差別でも同じことが言えるでしょう。ここでいう人々には私も含んでいます。なんだかんだと差別について苦言を呈したり意見を述べたりしていますが、結局のところ自身の奥に差別意識を持っているような気もしています。口でキレイごとを言っていても、頭では差別は良くないと分かっていても他人を蔑視し、歪んだ優位性を示そうと必死になっていたことも過去にはありました。今はそのようなことはしていないつもりですが、もしかすると私と接した人の中には私に差別的な対応を受けたと感じている人もいるかもしれません。このように考え出すとだんだん分からなくなってきますね。
 話を戻しましょう。私は女性が何か不当な扱いを受けているかもしれないと注意して物事を見ることが必要だと思うと先に述べました。これは、「目に見えにくい差別」を自身の目で捉えて女性差別の実態について知るためにも必要なことです。差別の実態を知ることで初めて差別について深く考えようと思えるのではないかと私は思います。人は身近ではないものや見えないものを考えようとはしません。ある物事を考えるためには、まずその物事について知ることが必要です。女性差別について何も知らないままでは、女性差別について考えるどころかそもそも考えようと思うに至らないのではないかと思います。
ふと思ったのですが、「目に見えにくい差別」というよりは「目を背けている差別」と言ったほうが適切かもしれません。どちらにせよ、差別に目を向けることは女性差別について考える上で必要です。
 さらに、特に男性は女性差別を知ったうえで自身と女性の違いを考えてみることも必要でしょう。違いと言っても身体的な違いや生理的な違いのことではありません。ここでの違いとは、社会的地位やビジネスの場における男女の違いのことです。
 この違いを考える必要があると私が考える理由は人々に植え付けられているステレオタイプ的なものの考え方を取っ払うためです。「どういうこと?」と思われた方もいると思いますので、一つ例を挙げてみましょう。
この記事を読んでくださっている男性の方は「自分は男である」と強く認識したことはありますか。また、認識したことがある人はその認識を頻繁にしますか。女性にも同じように問います。この記事を読んでくださっている女性の方は「自分は女である」と強く認識したことはありますか。また、認識したことがある人はその認識を頻繁にしますか。
 正確なデータに基づいているわけではないので、確証はありませんが、恐らく、女性は「自分は女である」と認識することが男性が「自分は男である」と認識することに比べて高い頻度であるのではないかと思います。男性が「自分は男である」と認識することはほとんどないのではないかと思います。
 自身の性別を認識する頻度の違いは、性差別と関わっているのではないかと思います。今回取り上げたハフィントンポスト記事では、ニコルさんは女性だというだけでクライアントからぞんざいに扱われていました。先にも述べていますが、女性は「女性である」だけで何かと不当な扱いを受けます。女性はこのような不当な扱いを受けるたびに「自分が女だからこのような扱いを受けるのか」と懊悩するのではないかと思います。それに対して、男性は女性が被る不当な扱いを無条件に避けることができます。つまり、男性は無条件で女性にはないアドバンテージを持つことができるという訳です。

 

 さて、こういった「女性は男性に比べて不利」という意見を表明すると、化学反応でも起きたかのように同じ反応が出てきます。「女は職場でチヤホヤされるから男より有利だ」「『女の武器』を使えば何でもできるだろ」「女は『レディースデー』があるが、男にはそういう割引はない」などの意見がこれでもかというほど出てきます。まさに「炎上」ですね。これらの意見(最後のものに関してはビジネスとは関係ないかも?)は主に男性からの反発意見として挙がってきます。
 このような意見に賛同はしませんが、正直なところ気持ちは分かります。「女の武器」に関しては気持ちも分かりませんが、とある女性が複数人の男性に気にかけてもらっている状況、要するに「オタサーの姫」状態は面倒ごとをやってもらえたり、自分の思うように物事を進められたりしやすいので少し羨ましく思います。レディースデーに関しても、同じものを提供してもらっているのに女性だけちょっと安くていいなとは思います。
 ですが、少し待ってください。もし女性が「男性は就活で不当に扱われなくていいな」「男性は仕事で正当な評価をされていいな」と思っているとしましょう。果たして、一概に女性が優遇されていると言うことはできるでしょうか。このように、他者の目線、他者の考えに注目してみることで「自分ではない他者」に近づくことができます。
 「自分ではない他者」という表現を「当たり前だ」と思った人は、少しその認識を改めたほうが良いのではないかと思います。確かに自分ではないから他者なのですが、ただの「他者」ではなく「自分ではない他者」であることをきちんと押さえておいてほしいのです。自分とは違うということを念頭に置いた上で他者に近づくことが差別をなくす近道だと考えます。また、ここでいう「他者に近づく」ことは「他者を理解する」ことであると思います。今回の場合は、「女性」を他者として考えているので、「男性ではない女性」を男性が理解することが女性差別をなくすために必要なことだと思います。

 

 余談ですが、反対に「女性ではない男性」を女性が理解することも必要だと思います。女性差別にスポットが当たることは稀にありますが、男性差別にスポットが当たることはほとんどないです。男性は「男だからこのくらいできて当然」「男のくせにこんなこともできないのか」などの差別的な扱いを受けることがあります。女性が差別的に扱われるように、男性もまた女性とは別の形で差別的に扱われているという事実を知っておいてください。

 

 今回は、ハフィントンポスト日本版の記事『女性の名前で仕事のメールを送ってみたら......見えない差別に気付いたある男性の話』を読んで思ったことを書かせていただきました。女性差別に限らず、差別は「自分ではない他者の理解」の不足によって引き起こされているものだと私は思います。

 それなので、本記事の最後では「他者理解」に関する書籍をいくつか紹介して締めようと思います。ちなみに、私がこのように「自分ではない他者の理解」を大切なことだと考えるようになったのは、以下に紹介する書籍の影響が大きいです。

質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)

質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)

 
断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 
街の人生

街の人生

 

 

 ちなみに、これらの書籍すべてに関わっておられる岸政彦さんは社会学者です。社会調査の中でも、個人の語りを聞き取る調査を専門とされています。私は岸さんの書かれる文章から「自分ではない他者」を理解することの大切さを知りました。興味がある方は読んでみてください。岸さんは先日社会学者にも関わらず、短編小説「ビニール傘」で芥川賞候補になっておられました。社会学者で芥川賞候補になったというだけでも驚きですが、「ビニール傘」は岸さんが初めて発表した小説だったそうです。短編「ビニール傘」は現在書籍化されています。こちらも気になった方は読んでみてくださいね。

ビニール傘

ビニール傘

 

 

 あと、ここまで読んでくださった方の中に「他者理解」に関する作品(小説、新書、学術書、専門書、マンガ、アニメ、映画etc.)で何かオススメのものがあれば是非教えてください。お願いします!

 

 それでは('ω')ノ