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自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです。日常生活のことや社会のことをざっくばらんに書いています。

4年間の大学生活を振り返ろう ~学業編~

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みなさん、こんにちは。

タングステンです。

 

今回の記事は4本仕立ての備忘録。

 

その内容は、自分の大学生活振り返りです。

 

2019年3月、筆者は晴れて大学を卒業しました。4年間という長いようで短かった大学生活のなかでさまざまなことをやってきました(少なくとも筆者自身はそう思っています)。

 

大学を卒業した筆者は、4月から社会人として働きはじめました。新しく覚えることや慣れないことに取り組むなかで毎日が目まぐるしく過ぎてゆきます。

 

数か月前まで大学生として悠々自適な日々を送っていた筆者も、今では1日の多くを仕事に費やしています。

 

そんな生活をするうちに筆者は気づいてしまったのです。

 

「このままでは大学生活の記憶が薄れていってしまう...!」

 

筆者にとって4年間の大学生活はものすごく充実した楽しい日々でした。こんなに充実して楽しい日々はこれまでになかった、と思うほどあの日々はすばらしいものでした。

 

今回書く記事は、そんな筆者の大学生活の記録・思い出です。一記事にすべてを書き綴ると文字数が多くなりすぎてしまうので、「学業編」「課外活動編」「就職活動編」「趣味・プライベート編」の4つに分割して記事にします。

 

この4記事は誰かに向けて書くというよりは、忘れないために書き残しておくものになると思います。

 

それでも、一応これはブログ。誰かの目に触れるものです。ですので、今回はある程度人様の目に触れても大丈夫な形で書かせていただきます。

 

本記事は「学業編」。大学の授業やゼミといった正課のなかで取り組んだこと、感じたことなどをざっくばらんに書いてゆきます。つまるところ、大学生活における学びの記録といったところですかね。

 

それでは早速振り返ってみましょう。

 

 

晴れて大学入学! 大学の勉強が面白いことに気づく

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2015年4月、苦しい大学受験を越えて大学に入学することができた筆者。期待に胸をふくらませていたかどうかはともかく、新しい生活に多少なりともドキドキしていたことを覚えています。

 

そんな筆者が楽しみにしていたもの。いろいろとありましたが、一番楽しみだったのは大学の勉強でした。実際、4年間大学で勉強をしてその面白さを満喫しましたが、入学当初の筆者は大学の勉強に対して過度に期待を寄せていたと思います。

 

どうしてここまで大学の勉強に期待していたかと言いますと、中学・高校でやってきた勉強がホントにつまらなかったんですよ。やらなければならないことだと思っていたので嫌々取り組んでいましたが、その実「なんでこんなクソつまんないことやってんだろう...」と常々考えていました。

 

どういった理由で「大学の勉強=楽しい」と考えるようになったかは覚えていないのですが、クソつまらない中高の勉強とはおさらばして大学の勉強をエンジョイしたいという想いがとにかく強かったですね。

 

そして実際に大学で勉強をしてみたわけですが......

 

「えっ! 大学の勉強ってこんなにおもろかったんか!」

 

衝撃でした。

 

何の根拠もない理由で大学の勉強を楽しいものだと思っていましたが、考えていた以上に面白いものだったんです。

 

何が面白かったのかを詳しく説明するのはこれからどんどん書いてゆきますが、とりあえず大学1年生の筆者が面白いと感じたのは「自分で考えて自分で答えを探すことができる」という点でした。

 

社会学という学問に惹かれてゆく

大学の勉強に面白さを見出すことができた筆者ですが、特に面白いと思ったのが社会学という学問でした。

 

そもそも、筆者が進学した学部・学科は社会学を専攻するところだったんです。どうして社会学を学ぼうと思ったのかを話しだすと長くなってしまうのでここでは割愛しますが、大学入学前から社会学という学問に興味がありました。

 

筆者がハマった社会学という学問。近年、その名前がよく聞かれるようになったと思います。テレビにも「社会学者」という肩書を名乗っているタレントが出演していますね。(個人的には「社会学者」という肩書が体よく使われている気がするので、あまり好意的には捉えていませんが...)

 

テレビ以外にも、社会学研究者が各種新聞社やネットニュースの記事を書いたり、話題の書籍の著者が社会学に精通している人だったりと、さまざまな媒体で社会学というものが脚光を浴びています。

 

このように人びとの目に触れる機会が増えてきた社会学という学問ですが、具体的にどんなことを研究対象にしているのかを知っている人はどのくらいいるのでしょうか? おそらく、社会学が何を研究する学問なのかをよく知らない人が多いのではないかと思います。

 

じゃあ、大学で4年間社会学を学んだ筆者が説明しましょう!」と自信満々に言いたいところですが、これが難しいんですよ。簡潔に説明しようと思うと抽象的になってしまうし、詳しく説明しようとすると難解になってしまう。あと、社会学を詳細に説明する上で避けて通ることのできない社会学理論について、誰かに説明できるほど詳しく理解できていません...

 

それでも、あえて社会学について説明するなら、「社会学は社会問題を研究する学問」です。この説明は筆者が考えたものではなく、とある教授の受け売りです。社会にあまねくさまざまな社会問題に対して、多角的にアプローチする学問。これが社会学なんです。

 

され、ここで新たに疑問が生まれます。

 

「社会問題って何?」

 

そうなんです。そうなんですよ!

 

結局こうなんですよ。社会学という学問が扱う研究対象ってとにかく抽象的でよくわからないんです。ちなみに、みなさんは「社会問題」と聞いて何を思い浮かべますか?

 

少子高齢化、さまざまな格差、各種差別、貧困、労働者の現状、国際問題、若者論、ジェンダー、インターネット・SNSの問題、いじめ、自殺 etc.

 

社会問題って本当に多様なんですよ。ここで挙げている社会問題なんてほんの一部ですからね。しかも、先に述べた通りこうした社会問題へのアプローチもさまざまなんです。貧困という社会問題に絞っても、子どもの貧困やワーキングプア、高齢者の貧困といろいろあるんですよ。

 

だから、社会学をうまく説明できないんですよ。

 

でも、筆者個人的には、これまで聞いてきた「社会学とは何ぞや?」という問いに関する説明のなかで一番納得のいく説明だと思います。

 

...と、こんな風に長々と説明しちゃうくらいには社会学という学問に惹かれたんです。研究対象が豊富で、その対象へのアプローチ方法も多様。そして、定まった解答や明確な答えはなく、試行錯誤して自分なりの答えを導き出すんですよ。

 

こういった自由度の高いところにどんどん引き込まれていったんです。

 

大学2年の秋、一人の社会学者に出会う

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社会学という学問の面白さに気づき、日々の授業に臨んでいた筆者。大学生活にも慣れ、単位も順調に取っていたのがちょうど大学2年生の頃でしたかね。

 

筆者はとある社会学者のことを知りました。

 

その社会学者の方は岸政彦氏です。現在は立命館大学大学院先端総合学術研究科で教授をされています。著書に『同化と他者化―戦後沖縄の本土就職者たち』(2013、ナカニシヤ出版)、『街の人生』(2014、勁草書房)『断片的なものの社会学』(2015、朝日出版社)、『質的社会調査の方法―他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇・丸山里美と共著、2016、有斐閣)、『ビニール傘』(2017、新潮社)、『はじめての沖縄』(2018、新曜社)などがあります。

 

ちなみに、そこそこの頻度でTwitterの更新をされるので、どんな人なのか気になる方はTwitterをご覧ください。

twitter.com

 

筆者が岸氏を知ったのは、同氏が前任校で担当されていた講義を聴講したときでした。たしかその講義は社会調査、特に質的調査と呼ばれる社会調査について学ぶ講義だったと記憶しています。とは言っても、質的調査についてのみを学んだというわけではなく、被差別対象とされている集団やマイノリティ集団に関することも講義のなかで話されていました。

 

筆者がその講義を受けたのが2016年の秋ですから、だいたい3年くらい前のことになりますね。

 

約3年前に受講した講義。今になって考えてみれば、この講義が筆者を社会学に傾倒させた最大のきっかけだったと思います。また、のちに述べる卒業論文のテーマ決めや自身の立ち位置やスタンスなど、筆者の考え方にも大きく影響していますね。

 

岸氏の講義を受けてから、筆者は同氏が執筆した書籍や論文をいくつか読みました。それこそ先に紹介した著書であれば、『街の人生』『断片的なものの社会学』『質的社会調査の方法―他者の合理性の理解社会学』『ビニール傘』『はじめての沖縄』を読みましたね。このほかにも、『愛と欲望の雑談』(雨宮まみと共著、2016、ミシマ社)や岸氏が責任編集を務めた「現代思想」(2017年11月号、青土社)も読みました。

 

大学2年のときに受けた講義やその後に読んだ著書。筆者はそれらに現れている岸氏の考え方というか、スタンスというか、そういうものに惹かれました。

 

あくまでも筆者個人が勝手に思っていることですが、岸氏の著書や研究、ひいてはその考え方には一定の合理性にもとづく"優しさ"があるように感じるんです。"優しさ"などという曖昧で使いやすい言葉に矮小化してしまうことに申し訳なく思いますが、勉強不足な筆者ではこの程度の表現しかできません。

 

岸氏の書く文章を読んでいると次のようなことが伝わってきます。研究対象として浮かび上がってくる調査対象者を単なる研究材料として扱うのではなく、「他者」という一人の人間として真摯に向かい合う。そして、「他者」に向かう自分自身の立ち位置についても熟考する。その上で「他者」のことを理解しようと努める姿勢をもって調査に臨む。調査が終わった後も大なり小なり「他者」とのつながりがあり、そこには一般化することができない関係性が構築されている。

 

ここで述べた内容が岸氏の考えにどこまで合致しているのかはわかりかねますが、筆者はこの「自身との関係性を含めて『他者』を理解しようと努める」というスタンスにとても感銘を受けました。

 

岸氏に出会って以降、筆者はより一層社会学という学問に面白さを感じるようになりました。さらに、社会調査、特に質的調査について熱心に学んだと思います。

 

大学の学びにのめり込んでいった大学3年の1年間

大学3年生、大学生としての生活も折り返し地点に達した頃。そして、就職活動の足音が少しずつ聞こえてくる時期ですね。

 

この頃の筆者はこれでもかというほど社会学にのめりこんでいました。

 

特に力を入れていたのが、3年生の1年間をかけて取り組んだ実習でした。ざっくりと振り返ってみると楽しいことも嫌なこともありましたが、学ぶことや気づかされることが多く、とても充実した1年間だったと思います。

 

この実習は、先に述べた社会調査を実践を交えながら学ぶもので、筆者も実際に社会調査をやりました。実習参加者によってどんな調査をしたかは異なりますが、筆者は赴いた調査地ではじめて顔を合わせる人にインタビューをしました。

 

また、インタビューだけではなく、調査地でのフィールドワークや地域の催しの見学なんかもさせてもらいました。

 

もちろん、調査前の事前学習や調査後の事後学習・報告書作成もしています。

 

この実習を通じて、実にさまざまなことを学ぶことができたのですが、そのなかで一番感じたのは、「現場での学び」の刺激でした。座学での学び、もちろんこれも面白いです。新たに学ぶことにワクワクしたり、これまでに学んだことと新たに学ぶことが結びついて理解が深まったりすることはとても楽しいですからね。

 

でも、「現場での学び」にはそこでしか得られないものがたくさんあります。たとえば、現場の空気感や何気ない会話のなかで聞くことができた人びとの語りなんかがそうです。この自身の経験に立脚した学びや気づきというものは本当に素晴らしいです。

 

「現場での学び」の虜になった筆者ではありますが、キチンと座学もやっていました。3年生の後期にはほぼすべての単位を取り終え、残すはゼミと実習のみになっていましたね。

 

あとは、返済の必要がない給付型の奨学金をもらうこともできました。学科内である程度の成績を収めた上で、いくつかの選考を突破すればもらえる奨学金なのですが、ご縁があってそれをゲットすることができました。

 

「もらえたらいいな~」とは思っていましたが、まさか本当にもらえることになるとは思ってもみませんでしたね。筆者としては、ただただ楽しいから勉強をしていただけですから、それでお金がもらえるなんて最高でしたよ。一時期は大学院への進学を考えたほどでしたからね(今も諦めたわけではありませんが...)。

 

ほかにもいろいろなことをしていましたね。ある授業ではビデオカメラと動画編集ソフトを用いて10分くらいのドキュメンタリー映像を作成したり、とある講義を担当していた非常勤講師の方と仲良くなってフィールドワークに連れて行ってもらったり、先に述べた実習の受講者として大学の広報誌に掲載されたりと、ホントにいろんなことがありました。

 

もしかしたら、大学3年生の1年間が大学生活のなかで一番充実していたかもしれません。

 

マイノリティや差別と向き合った卒業論文大学4年生

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筆者もいよいよ大学4年生になりました。嫌だ嫌だと思っていた就職活動(思い出すだけでも反吐が出ますね...)がはじまり、大学生なのに大学にほとんど行かないという日々が続きます。

 

また、「課外活動編」で詳しく書きますが、ちょうどこの頃は筆者が「あにぶ」というアニメコラムサイトでライターとして活動しはじめたばかりでした。就職活動をしつつライターとして記事を書き、たまに大学に行く。そんな生活をしていましたね。

 

大学に顔を出さない日々が続いたとはいっても、やることはありました。

 

そうです。卒業論文です!

 

筆者が所属していた学科は卒業論文の執筆が必須だったので、逃れることはできません。まあ、そもそも筆者自身は卒業論文を書くことにそれほど苦痛を感じていなかったので何も問題はなかったんですけどね(笑)

 

就職活動がある、ライターとして記事を書いている。

 

卒業論文はそんなことお構いなしです。

 

テーマ決め、文献読み、資料探し、レジュメ作成、草稿作成、データ分析、原稿執筆etc.

 

やることは山のようにありました。

 

筆者はこれを6月末くらいから本格的に取り組みはじめました。絶賛就活中、内定ゼロの状態でしたが、そんなことは卒論には関係ありません。

 

そんな筆者が卒論のテーマに据えたもの。

 

それは"差別"でした。

 

今回執筆した卒論では"差別"のなかでも特に部落(=被差別部落)に対して向けられる差別的なふるまいやまなざしフォーカスして卒論を執筆しました。

 

このテーマで卒論を執筆するにあたって、筆者はかなりたくさんの文献やデータに目を通しました。ざっくりとした数ですが、40~50冊くらいの文献は読んだと思います。酷暑が続いた夏に、大学の図書館や差別関連の書籍を多く所蔵している図書館に通った日々が懐かしいです。就活が終わるまではリクルートスーツで図書館に行っていましたから、その暑さに耐えるのは大変でした。

 

データをまとめたり、図表を作成したりといった細々した作業もいっぱいしましたね。Excelでグラフを作成し、Illustratorフローチャートを作成した年末を思い出しますよ。

 

必死になって取り組んだ末、完成したのは年明けすぐの2019年1月でした。最終的に総文字数が40000字ちょっとで資料等を含むページ数が60ページになるというトンデモ卒論になってしまいました。学部側が規定した文字数を大幅にオーバーし、ページ数も友人や同じゼミの人の倍以上になってしまいました。

 

おかげで友人や同じゼミの人からは「頭おかしい」と言われまくりました(笑)

 

頭がおかしいかどうかはともかく、大学生活4年間の集大成としての卒業論文を完成させることができたのはとても嬉しかったです。個人的にはある程度やり切ったという感覚もあります。

 

でも、"差別"というテーマで卒業論文を執筆したことで新たにみえた課題や「次はこれを調べないと」と思えることがたくさん出てきました。

 

大学を卒業した現在、大学生だった頃に比べると研究のペースは大幅に落ちてしまいますが、新たにみえてきた課題や調べる必要がある事項についてゆっくりと研究を続けていきたいと思っています。

 

社会学を学んだ4年間は充実した日々だった

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さて、いかがでしたか?

 

筆者が歩んできた4年間の大学生活。そのなかでも今回は特に学業という点に絞って振り返ってきました。

 

大学に入学する以前の筆者が、大学に入学してからここまで社会学という学問にハマるとは思ってもみなかったでしょうね。もともと学ぶこと自体は嫌いではありませんでしたが、まさかここまで学問に傾倒することになるとは...

 

そういえば、こうやって自分自身のことを振り返ってみる機会なんてなかなかありませんよね。今回ブログの記事を執筆するなかで自身の大学生活を学業という観点から振り返ってみて一つ気づいたことがありました。

 

それは、筆者はとても運のいい人間だったということです。

 

大学に入学してからの筆者はとにかく運がよかった。社会学という学問に出会えたこと、その学問について語り合える友人ができたこと、岸政彦氏をはじめとする多くの研究者を知れたこと、学びのなかで多くの機会を与えてもらえたこと、奨学金をもらえたこと。

 

挙げはじめるとキリがありません。

 

とにかく、筆者はツイていました。ラッキーだったんですよ。

 

筆者はラッキーだったからこそ、充実した4年間を過ごすことができたのだと思います。

 

そういえば、もう一つ気づいたことがあります。

 

それは、大学のレベルや偏差値に関係なく、デキる奴はデキるし、ダメな奴はダメだということです。

 

大学に入学するまでは何かと偏差値や大学のレベルを基準にして物事をとらえていましたが、この視点や考え方がいかに空虚なものであるかを身に染みて感じました。

 

結局のところ、大学のレベルとか偏差値という全体・集団に基準を置いて人びとをみる、いわゆるマクロな視点から人をとらえるとディテールが削がれるんです。個人のディテールが削ぎ落されるから、その個人が属している集団やもっている属性でしかその個人を語れなくなるんです。

 

大学のレベルとか偏差値で決めつけるのではなく、一人一人の人間に目を向けるんです。そうすると、その人がどんな人なのか、何が得意な人なのか、どういう点が優れている人なのかといった個人のディテールが浮かび上がってくるんです。

 

個人のディテールが浮かび上がったとき、その個人の属している集団やもっている属性に依らないその個人の本質のようなものがみえてくるんです。早い話、「一流大学に通っている大学生だからデキる奴」なのではなく、「具体的にこういったことをしており、こんな成果があるからデキる奴」なんです。

 

こういった考え方ができるようになったのも、筆者が社会学という学問、とりわけ質的調査や差別、マイノリティといったミクロな視点を用いることが多い分野の学びに触れてきたからかもしれません。

 

おそらく、筆者が大学で学んだ4年間は今後の人生を豊かにするさまざまなきっかけになるでしょう。社会学、この学問を知り、学部生レベルではあっても精一杯学ぶことができた日々。この日々はきっと、筆者のこれからを彩ることになるでしょう。

 

最後に、ここまで読んでくださったみなさま。

 

こんな駄文にお付き合いいただき本当にありがとうございました。

 

「みなさんもこれを機に自分の大学生活を振り返ってみてはいかがでしょう?」などと、ブログっぽい締めくくりの言葉を添えて、今回は筆を置かせてもらいます。