『教室内カースト』を高校生のうちに読んでいたかった
みなさん、こんにちは。
タングステンです。
今回はお題「高校生の自分に読ませたい本」で記事を書いていこうと思います。
ここ最近はデレステの記事ばかり書いていたので、こういった趣向の違うテーマで記事を書きたいなと思っていました。
本に関するお題があったので「これだ!」と思って書いた次第です。
さて、私が高校生のうちに読みたかった本ですが、光文社新書から出版されている『教室内カースト』です。
この本のことを知っている方もいるとは思いますが、あれやこれやと書いていこうと思います。
新書『教室内カースト』とは?
『教室内カースト』は2017年11月現在、秋田大学大学院理工学研究科で助教授をされている鈴木翔氏が2012年に光文社新書から出版した書籍です。
また、この本には社会学者の本田由紀氏による解説がついています。
以下にAmazonの商品紹介ページのリンクを貼っておきます。
定価は840円(+税)ですが、ブックオフなどの古本屋に行けば安くで手に入ると思います。古本屋の新書コーナーでこの本はよく見かけるので、探すのに苦労しないでしょう。
この本では「スクールカースト」という概念を扱います。近年になって書籍やマスメディアなど、さまざまな媒体で取りあげられるようになった概念なので、言葉を聞いたことがあるという人も多いのではないかと思います。
スクールカーストとはどういったものなのでしょうか?
本書のそで部分に載っている説明を以下に引用しておきます。
(前略)スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽はみられる。同学年の子どもたちが、集団の中で、お互いがお互いを値踏みし、ランク付けしていることは以前から指摘されており、いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。(後略)
...どうでしょう。わかりましたか?
読んでくださっている人のなかには、上記の引用した説明を読んで「なんとなく覚えがある」と思った人もいるのではないかと思います。
ちなみに、私自身が「なんとなく覚えがある」と思った張本人です。
この本では、スクールカーストとはなにかだけではなく、実際に中高生にインタビューを行ない、そこから得ることができた語りの分析によって、スクールカーストの実態を明らかにしようとしています。
また、生徒だけではなく、教師にもインタビューを行なっています。読むとわかりますが、教師の語りは結構エグイです。本音が炸裂しています。
そのため、やけにリアルな描写が出てきます。語りに見ることができる学校現場の生々しさがひしひしと伝わってきます。
気になった方は、読んでみてください。
本当にオススメです!
どうして高校生うちに読んでいたかったのか?
さて、『教室内カースト』という本について簡単に説明しました。
本のことはなんとなくわかったのではないかと思います。
それでは、どうしてこの本を高校生のうちに読んでいたかったと私が思うのかを書いていきましょう。
その理由は、私の中学・高校時代に起因します。
中学時代 ~暗黒の青春~
私は中学生のころに部活動でいじめというか、嫌がらせのようなものを受けていました。以前もこのブログでこのエピソードは書いたように思いますね。
嫌がらせをしてくる相手は同じ部活に所属していた同級生でした。人数は全員あわせて15~20人くらいいたように記憶しています。
私が所属していた部活動はサッカー部です。決して上手だったわけではないのですが、小学校のころからサッカーを習っていて、サッカーが好きだったので、部活動もサッカー部にしました。
中学に入学して、部活動に励んでいました。ただ、技量がほかの部員に劣っていたため、一軍の試合に出場することはほとんどありませんでした。私が出ることができた試合は、一軍のメンバーの休憩時間に行なわれる二軍の試合だけでした。
同級生のなかには1年のうちから一軍で活躍する人もいました。私は「すごいなぁ...」と思いながら、「いつか自分もああなりたい」と思い練習に励んでいました。
練習に励んでいたある日、顧問が部員の前で「普段の生活がだらしない奴や、用具の片づけがきちんとできない奴はいくらサッカーが上手くても(一軍の)試合には出さないからな!」と言いました。
私は顧問の言葉を馬鹿正直に信じて、普段の学校生活(勉強・生活態度)を良好にし、ほかの部員が嫌がるような雑用も率先してやるようにしました。学校生活に関して私は、いわゆる「優等生」といわれる類の生徒だったと思います。
しかし、私が優等生になったころからサッカー部の同級生の一部から嫌がらせを受けるようになりました。それまでは、同じサッカー部員として(私は)仲良くしているつもりでした。
はじめは部活中にのみ嫌がらせが行なわれていました。その内容も、聞こえるように悪口を言われたり、雑用を押し付けられたりするくらいでした。
私はこれらの嫌がらせに対して、特に反応を示しませんでした。当時の私は勉強や部活で手一杯で、嫌がらせに構っていられる余裕がありませんでした。
すると、私の反応がなかったからなのか、嫌がらせ行為はどんどんエスカレートしていきました。部活中のみだった嫌がらせは普段の学校生活でも起こるようになりました。
その内容も、教室内で悪口を言う、持ち物を隠す、水筒の中身に細工する、集団で遠巻きに嘲笑する、ボールをぶつけられる、など無視できないものになっていました。部室に閉じ込められたこともありました。
このころには、嫌がらせに加担するサッカー部の同級生も一部ではなくなっていました。よく一緒に練習していた彼も、一緒に朝練に行っていた彼らも、みんな私に嫌がらせをするようになりました。
もちろん、嫌がらせには程度がありました。部室に閉じ込めてくる人もいれば、遠巻きに見ているだけの人もいました。
ただ、助けてくれる人は誰もいませんでした。
こうした嫌がらせを受けるなかで、私は部活動を休みがちになりました。
だんだん練習に出る回数が減っていき、2年生の夏休み明けに部活を辞めました。
これで嫌がらせから解放されると思ったのですが、そんなに甘くはありませんでした。
私の通っていた中学校は生徒全員が部活動に加入するという暗黙のルールがありました。校則として「原則として部活動に参加すること」というものがあったかはわかりませんが、私は聞いたことがありません。
その暗黙のルールを破ったもの、「サッカー部を辞めた奴」としてからかわれるようになりました。からかってくるのは一部のサッカー部員でした。
私は「どうして辞めた奴をからかうのだろう」という疑問を抱くと同時に、「学校で人と違うことをするとこういう扱いを受けるのか」と思いました。
そして、「自分に足りないところがあるから、からかわれるのではないか」と思うようになりました。当時の私に残されていたものは、勉強しかありませんでした。
サッカー部を辞めた私は、一心不乱に勉強をするようになりました。
高校受験のときも地元の高校はサッカー部の同級生の多くが進学するので、そこにだけは絶対に行きたくありませんでした。
一心不乱に勉強をしているうちに、サッカー部からのからかいが自然消滅していました。おそらく、飽きたのでしょう。
しかし、今度は勉強をしている私に対してちょっかいをかけてくる奴が現れました。
彼はサッカー部の人間ではなく、ただのクラスメイトだったのですが、私に対して執拗に対抗意識をもち、事あるごとにちょっかいをかけてきました。
彼のちょっかいはかなりめんどくさいものでした。
私が休み時間に勉強をしていると邪魔をし、休憩をしていると「勉強しろよ!」と言ってくる。そして、テストが返却されると私から答案用紙を奪い取って勝手に見たり、私の答案用紙をほかの人に許可なく見せたりしていました。
彼は当時の私にとって、とにかく邪魔な存在でした。
正直なところ、「死んで消えてくれればいい」とすら思っていました。
彼のちょっかいは卒業まで続きました。
このように、いろいろなことがありましたが、無事に中学校を卒業することができました。高校も家から少し遠いですが、地域でも上位の高校に進学することができました。
中学生活は、そのほとんどがつらい思い出となっています。
この経験をもったまま、私は高校に進学しました。
高校時代 ~無の3年間~
高校に進学してすぐ、私は一つ決意しました。
「高校では、無暗に友達を作らないようにしよう」
このような決意に至った理由は、中学時代の経験にあります。
先述の通り、私の中学生活は決して楽しいものではありませんでした。
「どうしてそのような中学生活になってしまったのか」と考えた結果、「対人関係をもつから、衝突が起きてしまう」という結論に至りました。
その衝突が起きないようにするためにはどうすればいいか。
簡単ですよね。人とかかわらなければいいのです。
しかし、高校生活、引いては学校生活において他人と全くかかわらずに生活を送るのは不可能です。いくら対人関係を避けようとしても、学校というシステムの性質上、どこかで必ず他人とかかわることを強いられます。
それなので、「必要最低限の交流はするけれど、それ以上踏み込んだ関係にはならない」ことを高校生活における私の行動理念にしました。
この行動理念を徹底した結果、私は「自然な作り笑顔」と「上辺だけの会話スキル」、「偽りの優しさ」を手に入れました。
人に優しくすることは難しい、という意見がありますがそんなことはありません。見かけだけであれば、優しさを作ることは簡単です。それこそ、友達を作ることよりも簡単です。相手が望む答え・役割・態度を読みとって、それを適切な形で提示するだけでいいのですから。
それこそ「いい人」になるのは容易いことです。それはすなわち「『都合の』いい人」ですからね。
誰とも深く関係をもつことがなかった私は、教室内で発生するさまざまな事象を客観視することができました。たとえば、「どのグループがこのクラスで一番発言力があるのか」とか、「あの女子グループのボスは誰か」とか、「あの人とあの人の仲が悪いから、グループ同士の仲も不穏な感じになっている」とか、さまざまな事象をこの目で見て、肌で感じました。
また、クラス内の関係性について、クラスの女子から直接話を聞かされることもありました。愚痴もたくさん聞きましたね(笑)
もちろん、話を聞いたからといって友人や恋人の関係になることはありませんでした。ただ、話を聞いただけ。私から余計なことは言いませんでした。もちろん、意見を求められたときは発言しましたが、その発言も相手が求めている発言をするようにしていました。
こうして、3年間が過ぎてゆきました。
高校生活は波風が立つことのない、穏やかな生活でした。
しかし、楽しい高校生活ではありませんでした。何もない、「無」でしたね。
私の高校生活は空っぽです。
『教室内カースト』を読んですべてがつながった
大学に進学して『教室内カースト』と出会いました。
この本を読んで、自分が中学時代に受けた嫌がらせのことや、高校時代に見て、感じたもののすべてがつながったような感覚になりました。
学校というシステム内のクラス、部活動などのコミュニティ、そこで起きるさまざまな事象がこの本に登場する「スクールカースト」という概念で説明できているように思ったのです。
高校生の自分が、中学時代の経験を鑑みてこの本を読んでいたら、高校生活はもう少し楽しいものになったのではないかと思います。
おわりに
思いのほか長く書いてしまいましたね。
『教室内カースト』は名著だと思っています。
みなさんもぜひ読んでみてください。
それでは('ω')ノ