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【レビュー】書籍『飯場へ—暮らしと仕事を記録する』

こんにちは!

私です。

 

今日(もう昨日ですが…)は一日中、本を読んでいました。

 

朝から昼過ぎまではカフェで本を読んでいました。

昼から夕暮れまでは、お世話になっている講師の方に読書会に誘っていただいたので、そちらに参加していました。

 

今回は先日、お題「読書の秋」で取り上げた「飯場へ—暮らしと仕事を記録する」(渡辺拓也著、2017、洛北出版)の感想を書きたいと思います。

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やっと本日読み終えることができました。

 

本そのものは発売当初に購入していたのですが、読む時間をとることができず、「積み本」の1冊になっていました。

しかし、今週はまとまった時間をとれることが多かったので、一気に読み進めてしまいました。というか、一気に読めるほど面白かったです。

 

それでは、感想、書いていきましょう!

思っていた内容とは違った

とりあえず読了して、最初に思ったのは「読み応えあったなぁ」です。

というのも、この本は索引や参考文献を含めると500ページを超えるような超大作なのです。

 

先にも述べていますが、先日書いた記事『2017/10/01 読みたい本—「飯場へ—暮らしと仕事を記録する」』で私は以下のようなことを書きました。

 

さて、この本で参与観察を行なっている地域である釜ヶ崎ですが、日雇い労働者の町として有名ですね。釜ヶ崎というよりも、大阪市西成区や「あいりん地区」という言葉で知っている人もいるでしょう。

この町には、少なくなったとはいえ、今でも日雇い労働者がいます。「その日暮らし」という、安定しているとはいいがたい生活を送っている方がいます。

町で暮らす日雇い労働者は、毎日仕事を探します。その日の朝に仕事を探して、仕事にありつければ、夕方まで働きます。しかし、仕事を見つけられなかったら、その日はそれまでです。もちろん仕事がないのですから、収入もありません。

出典:2017/10/1 読みたい本—「飯場へ—暮らしと仕事を記録する」 - 好きに自由に書かせてください( ..)φ

 

上記で述べているような日雇い労働の現状は確かにあります。

しかし、今回読んだ本、「飯場へ—暮らしと仕事を記録する」では日雇い労働者や「その日暮らし」について言及している本ではありませんでした。

 

実際は… 人夫出し飯場エスノグラフィー

見出しのとおり、実際の内容は著者・渡辺さんの参与観察をもとにした人夫出し飯場エスノグラフィーと、そのエスノグラフィーをもとに「飯場」という場所や飯場労働者を分析したものとなっていました。

 

本の構成をおおまかに説明しておきましょう。

最初に「はじめに」があります。ここでは、自身のフィールドワークとの馴れ初めや調査概要が書かれています。

そして、あとに1~8章が続きます。各章は大きく2つに分けることができます。前半の1~4章は著者が飯場労働者として飯場に入っていく、つまり参与観察をすることで明らかにした飯場の実態が書かれています。後半の5~8章は前半で明らかにした飯場の実態をもとにして行なわれた「飯場」という場所や飯場労働者の分析が書かれています。

そして一番最後に「おわりに」があります。ここでは、抽象的ながらも総括が行なわれています。

 

詳細は実際に読んでいただくことで確認していただきたいのですが、以下では私が読んでいて面白いと思った部分をピックアップして書いていきます。

 

「僕」の視点

この本には複数の一人称が登場します。「僕」「僕(上に傍点付き)」「私」の3つの一人称が使い分けられています。

複数の一人称がなんらかの基準で使い分けられていることは興味深いことです。しかし、それよりも私は学術書で「僕」という主観性を強く意識される(と私は思う)一人称を使用している点に興味をひかれました。

 

一般的に学術書や学術論文では「僕」という一人称は使われません。

私は社会学を専攻しているため、社会学の論文や学術書に関してのみ言及しますが、社会学の論文・学術書では著者・研究者の主観がどれほど正しいのかを客観的に判断できないため、一人称を多用することが避けられるきらいがあるように思います。

一人称を使用することによって、論文や学術書の信憑性や正当性を欠如させるようなことを避けるのです。

 

しかし、この本では一人称がふんだんに使用されています。それだけではなく、「僕」や「僕(上に傍点付き)」が各々の感想や意見を表明しているのです。

 

果たして「僕」の表明する内容に信憑性・正当性はあるのでしょうか。「ない」と考える人もいるでしょう。確かに客観性に欠ける部分があります。

しかし、私はこうした「僕」が感じたことが率直に表明されているのを良いと思います。良いと思うだけでなく、私は「僕」が見て感じるものが好きです。

 

この本の1章には「飯場日記」というものがあります。この日記は、著者が初めて入った飯場での出来事を日記形式でまとめたものです。

ただ、本文中で著者が「「日記」といっても、フィールドワーク中のメモをもとに調査終了後にひと月ほどかけてまとめなおしたものなので、厳密な意味での日記ではない。」(p.28)と断っています。

 

この「飯場日記」が非常におもしろいです。なにがおもしろいかというと、著者の率直な感想がバンバン飛び出してくるところです。

もちろん、後半(5~8章)でされる分析もおもしろいのですが、著者が実践のなかで出会う人びととのやりとり、飯場での生活に抱く想い、著者が飯場労働者に「なっていく」過程。この本でも言及されていましたが、「「飯場日記」は、鵜飼の作品ほどの分量はないが、「私エスノグラフィー」を試みたものといえるかもしれない。」(p.30)のです。

 

「私エスノグラフィー」は自分の経験をエスノグラフィーとしてまるごと表現したものである。「私エスノグラフィー」の実践した先駆的作品に『大衆演劇への旅』(鵜飼正樹著)がある。

「私エスノグラフィー」はたんなる日記ではなく、常に客観的であろうとする意思をもって書かれます。「私エスノグラフィー」、この本では「『僕』エスノグラフィー」になりますが、私はこうした主観を大切にした試みが非常に好きです。

 

話は戻りますが、この本では一人称が使い分けられています。一人称の違いを発見したときは「誤植かな?」と思いました。しかし、読み進めるなかで幾度か一人称が変わる部分があったので、「これは著者が意図的に変えているな」と思いました。

 

一人称の使い分けの法則を完全に看破することはできませんでした。しかし、「なんとなくこうなんじゃないか」と考えるくらいはできました。それは、「僕」と「私」の使い分けです。「僕」は著者が飯場労働者としてフィールドに入っているときに感じたことを表明するときに用いて、「私」は著者が本のなかで考えることを表明するときに用いる、という風に使い分けているのではないかと考えます。

 

つまるところ、「僕」は参与観察者、つまり飯場労働者としてのme、「私」は研究者、著者としてのmeではないでしょうか。

 

こんな感じで愚考する次第です。

 

ダブルスタンダードという理不尽

ダブルスタンダードとは、同一の事象について2つの基準があることをいいます。例として私の実体験を書いておきましょう。

 

私は中学校の頃にサッカー部に所属していました。私の所属していたサッカー部は、先輩・後輩の上下関係が特別厳しいことはないのですが、とある先輩(以下、A先輩)がやたらと先輩風を吹かせたがる人でした。

具体的には、なにかと後輩に指図したり、先輩のほうが優れていることを誇張したりしていました。とにかく先輩風をビュービュー吹かせていました。

私もA先輩になにかと指図されることがありました。ある日、他校との練習試合でA先輩に「おい!下がっとけ」と言われました。私は言われたとおりに自陣側に下がっていました。

しかし、顧問からは「上がっていけよ!」と言われました。私はA先輩の指示よりも顧問の指示のほうが優先度が高いと判断して敵陣側に上がりました。すると、A先輩は「お前なにやってんねん!早よ下がれ!」と私に怒鳴ります。

私はとっさに自陣側に下がりました。すると顧問が「上がれぇ!」と私に怒鳴りつけます。以下ループです。

 

さて、上記の私の状況は同一状況において「自分よりも上の立場の人間」が2つの異なる指示を出している状況です。簡単に言うと、板挟みの状態です。

自身よりも上位にある人間から相反する2つの指示をされ、どちらかに応えると、もう一方を無下にすることになる状況です。

 

正直、この板挟み状態はかなりしんどいです。どっちにころんでも怒られますし、怒られるのを避けようと思えば思うほど自身の行動が硬直してしまいます。

 

さて、どうして今ダブルスタンダードを取りあげたのかという、飯場でも「ダブルスタンダード的な状況」が生まれると本にあったからです。著者が参与観察をしているときに遭遇したダブルスタンダード的な状況は理不尽極まりないものだと思いました。

 

著者も本のなかで相反する2つの指示のあいだで翻弄され、理不尽さを感じています。この内容が書かれているのは8章なのですが、8章は「飯場日記」以外の部分でもっとも著者の主観というか、著者の「僕」が前面に押し出されているように感ました。

8章の内容は、人によっては「愚痴を羅列しただけ」と思うかもしれません。しかし、愚痴をとられかねない内容を書くこと、まさに人間、これぞ人間。このように思うこともできるのではないでしょうか。

5~7章で学術的分析を綿密に行なってきた著者が打って変わって見せる感情。このギャップにクスっとしながら、その感情の揺れ動きを大切なものだと感じました。

 

写真の意図

この本にはところどころに写真が挟み込まれています。これらの写真は一見すると、意味なく挟み込まれているようにも感じます。しかし、読み進めていくと挟み込まれている写真にはなにか意味があるのではないかと勘ぐってしまうのです。

私も本のなかの写真で2つ勝手に意味付けをしてしまったものがあります。ここではその2つの写真に私が付けた意味を書いていきます。

 

p.p26-27 都市、俯瞰(「はじめに」終わり~「第1章」開始前)

ここには、都市を俯瞰するような構図で撮られた写真が使われています。

私が注目したのは、写真そのものではなく、その写真が「ぼかし」をかけて使われているところです。具体的には、「はじめに」の最後のページ側(p.26)は「ぼかし」が強く、「第1章」側のページ(p.27)になるにつれて写真にかかった「ぼかし」が弱くなり、ついには「ぼかし」がなくなります。

 

ここで使用されている「ぼかし」は、「はじめに」の最後のページに載っている文章が読みやすいようにするためのものでしょう。

しかし、私には読みやすくするためだけには感じられないのです。

 

注目している写真は、「はじめに」から「第1章」への移行にあたるページです。つまり、この本の本格的な中身に潜る入り口にあたる部分です。写真の「ぼかし」が弱くなっていくのは、本の中身に本格的に触れていく入り口に立っていること、そしてこれから中身に潜っていくことを暗に示しているのではないかと私は考えます。

 

p.p.460-461 あべのキューズモール前(「おわりに」終了後)

ここでは、あべのキューズモールという大阪の商業施設の前の通りを撮影した写真が使われています。

ここでは、写真そのものに注目しました。

 

この写真に写っている商業施設、あべのキューズモールはその名の通り大阪市阿倍野区にあります。私が注目したのは、「阿倍野」という場所です。

 

実は、あべのキューズモールがある大阪市阿倍野区の目と鼻の先には「釜ヶ崎」があります。「釜ヶ崎」は先にも触れているように日雇い労働者の町です。

私自身、「釜ヶ崎」に行ったことがあるのでわかりますが、「釜ヶ崎」と阿倍野は本当にすぐそこの距離にあります。

 

しかし、「釜ヶ崎」と阿倍野のあいだには「壁」のようなものがあります。場所でいうと、現在も残っている遊郭街である「飛田新地」の近くにあります。その「壁」を境界線として「釜ヶ崎」と阿倍野は分断されているようになっています。

 

ちなみに、この「壁」はもともと遊郭街である「飛田新地」四方を囲んでいた壁でした。遊郭街の四方が壁で囲まれていたのは、娼婦の逃亡を防ぐためと、娑婆とは違うことを強調するためだそうです。

今でも名残が残っており、一般的には「嘆きの壁」と呼ばれている壁です。

 

さて、この「嘆きの壁」は現在、「釜ヶ崎」と阿倍野を分断する境界線となっています。お隣なのに、町の様相はまったくことなります。一方は日雇い労働者の町、もう一方は大型商業施設が建つような都会。この差はなんでしょうか。

 

私はここで使用されている阿倍野の写真から、その裏にある「釜ヶ崎」の存在を読みとりました。

 

おわりに

いろいろと書いたあげく、なにを書いたのかよくわからなくなってしまいました。

 

とりあえず言えることは、興味があるなら読みましょう。

きっと後悔はしません。

 

特に、自分で自分のことを「ふつう」だと思っている人に読んでほしいなと思います。

 

今回はここまでです

それでは(^^)/