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好きに自由に書かせてください( ..)φ

自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです(^O^)社会で起きている出来事や、アニメ・ゲーム・漫画といった「おたく文化」などについて自分の思うことを好きに書かせてもらっています。つたない文章かと思いますが、あたたかい目で見守ってください(笑)よろしくおねがいします!!

成人式に行かない話

こんばんはー(^^)

皆さまいかがお過ごしですか。お久しぶりです。私です。

 

今回は「成人式に行かない話」を書かせていただきます。ざっくりとしたテーマで分かりにくいですが、要するに、私が地元で開催される成人式に行かない理由や成人式に思うことを気の済むまで書くだけです。恐らく、かなり見苦しい文章になると思います。なので、先に謝っておきます。

 

申し訳ございませんm(_ _)m

 

「クソみたいな文章でもええんやで」「気にせんでええよ」という方はこの先も私の駄文を読んでやってください。

 

 

それでは、改めて始めさせていただきます。

まず、どうして成人式について書こうと思ったのかを書きます。理由は単純で、今年(今年度?)の成人式に行かないことについて私自身がよく分からない不安に襲われたからです。

この不安は「まわりの同級生は行っているのに自分は行かないのは変かなぁ?」などというしょーもないものではありません。私はまわりの知人が成人式に行こうが行かまいが別にどうだっていいと考えています。

私を襲った不安は「私が成人式に行かないことを親はどう思っているのか」ということです。私の父親は、私が成人式に行かないことに反対していません。私が成人式に行かないことを打ち明けた時も「そうか、お前の好きなようにやったらいいよ」と言ってくれました。

しかし、本当はどう思っているのか、成人式に出ている私を見たいと思っているのではないのかと考え出すと、よく分からなくなってしまいました。

私は元より成人式には行かないつもりでした。その理由は、私の中学時代は「つらい」「苦しい」「行きたくない」と思い続けた闇の3年間だったからです。中学時代の全てが闇というわけではありませんが、中学時代に経験したいくつもの嫌な出来事を思い出すと今でも少しだけ悲しい気持ちになることがあります。ここで、中学時代の経験を書くと長くなってしまうので、今回は保留させてもらいます。

とにかく、私は闇の3年間を過ごした中学時代の同級生たちと会って「久しぶり!元気にしてた」「今どうしてるの?」などという何の意味もない会話を接客アルバイトで鍛えた営業スマイル&接待モードでするのが嫌です。そんなことをするくらいなら、家で大学の課題をしたり、デレステをしたりしますね。

そもそも、私は成人式という式典に意味をこれっぽっちも感じません。「20歳になりました。おめでとう」というためだけにその地域の20歳を招集することに何の意味があるのでしょう。式典に出たとしても、よく知らない来賓の方々の紹介や市長のテンプレご挨拶(映像を流すだけのところもあるらしいですよ)、近所の中学校の吹奏楽部の演奏をただただ座って聞くだけです。これらのプログラムをこなすことで成人になった人々は何を得ることができるのでしょうか。「大人になったぞ!」と自覚するわけでも、「これからは成人として振る舞わなくっちゃ」と考えを改めるわけでもないでしょう。たかだか数時間の式典、それも毎年開催しているから今年もやっておこうという感じで開催されている式典に出席しただけで人の何が変わるというのでしょうか。年齢が19から20に上がったからといって「大人」になれるわけでもないでしょうに。私自身、自分のことをまだまだ子どもだと感じています。今も親の扶養のもとで生活をしていますし、大学にも通わせてもらっています。法的に大人にはなれても、精神的に「大人」になるのはそう簡単ではないです。さて、皆さんは成人式に行ったくらいで「大人」になれると思いますか。

行っても闇の3年間を思い出し、さらには行く意味すら感じない成人式に行きたいと思うでしょうか。いや、思わないです。

ただ、成人式に行きたいと思っている友人や知人のことをアホとは思いません。彼らの気持ちが分からないわけではないです。成人式に行きたいと思う人々は、「楽しい」学校生活を送ることのできた幸せな人なのではないかと私は思います。クラスメートとの仲は良好、恋に恋するような甘酸っぱい青春、部活動に全力で取り組む爽やかな日々、休日は多くの友人とラウンドワンみたいな学校生活を送ることができた人々は当然成人式に行って「楽しい」学校生活を共に送ったかけがえのない友人たちとの再会に胸躍らせることでしょう。いわゆる「スクールカースト」の上位にいた人々にとってはさぞかし楽しいイベントになるでしょう。スクールカーストの上位ではなくても、カースト最下層にいなかった人々にとっては、まあ楽しいのでしょうね。

 

ここから少し話が逸れます。飛ばしても問題ないです。

私は、中学校1年生の時に入っていたサッカー部内で、同級生からいじめの対象にされ、部の顧問からは雑用係のように扱われた結果、部活に出席する割合がどんどん下がっていき2年生の中頃でサッカー部を退部しました。部を退部する際には、部の同級生ほぼ全員に囲まれて何故やめるのかを問い詰められたり、退部した後も部を辞めた異端者としてからかいの対象にされました。私の通っていた中学校は入学した時点で何かしら部活に入ることが暗黙のルールとされていました。そのため、途中で部活を辞めた私は同学年の中で異端者としての扱いを受けました。もちろん、直接私を異端者扱いする人はほとんどいませんでした。しかし、同学年の生徒たちから「アイツは俺らとは違う奴だ」「〇〇君って面白いね(変という意味での面白い)」という空気をビシビシと感じざるを得ない毎日でした。この経験から、私は集団生活、特に学校という集団の恐ろしさや集団が異質なものを排除しようとする性質などを身を以て学びました。

さらに、私はある教師から非常に嫌われていました。私は3年生の時に委員会に入っていました。その委員会は、生徒の学習を手助けするような掲示物を作成したり、定期テストの勉強に利用できる対策プリントを作成したりしていました。私を嫌っていた教師(以下では「A先生」とします)は、私が所属していた委員会の面倒を見ていました。A先生は委員会メンバーの最初の顔合わせの時に「3年生は受験で忙しくなるだろうから、定期テストの対策プリント作りだけでいいよ」と委員会メンバー全員の前で公言していました。私はA先生の発言を聞いて「受験勉強に集中しやすいように配慮してくれているんだな」と思いました。

しかし、顔合わせから半年ほど後の委員会会議でA先生が「皆さんで掲示物の作成をしてもらいます」と言いました。私はA先生に「3年生も参加ですか?」と尋ねると、A先生は「当然です」と答えました。

顔合わせの時のA先生の発言を覚えていた私は話が違うとA先生に抗議しました。すると、A先生は「文句言わずに黙ってやれ。委員会メンバーになったのなら責任を持ってやれ」と私に怒鳴りました。

確かに委員会メンバーである私には委員会メンバーとしての責任があります。その責任を放棄しようとした私にも少なからず非はあるでしょう。しかし、たとえ半年ほど前の発言とはいえ、大人が、それも生徒に物事を教える立場にある教師が自らの発言の責任はとらないことに当時の私は衝撃を受けました。

A先生の態度に頭が来た私は、荒い口調でA先生の半年前の発言について問い、A先生は私に「生意気なことを言うな」と怒鳴りました。その結果、委員会会議の場で私とA先生が口論(実際は口喧嘩のようなもの)をしてしまいました。その場にいた別の先生方が、私とA先生をなだめたことで事態の収拾を図ってくれましたが、私とA先生の間にはわだかまりが残りました。

委員会会議終了後、私は事態の収拾を図ってくれた先生の1人に、A先生が自身の発言に責任を持たずに発言していることに対する不満を八つ当たりのようにぶつけてしまいました。私の八つ当たりを聞いてくれた先生は「うんうん」と相槌を打ちながら話を聞いてくれました。「この先生は分かってくれている」と思ったのですが、私の話が終わった時に「でも、A先生は若いから仕方がないよ。それに、〇〇君も先生に対してあの言い方は良くないよね。今回はお互い様だよ」と私に言いました。

「(°д°)エッ...」と私は絶句しました。A先生の責任を持たない発言は若さゆえの過ちとして処理された上、私に非があるからお互い悪かったと抜かしたのです。その時は本当に意味がわからず、納得もいきませんでした。しかし、大学で社会学を学んで、先生と生徒というほとんどひっくり返ることのない理不尽な上下関係が学校という組織にあることを知りました。この上下関係を知ってからは、諦観するようになりましたが、このA先生との出来事は、私が学校という組織に不信感を持つきっかけになりました。

 

話が逸れた上に、しないと言った中学時代の闇のエピソードまでしてしまいました。長くなってすみません。最後にもう一つだけ書かせてください。ここで紹介して中学時代の闇エピソードはほんの一部です。

 

さて、話を成人式に戻しましょう。

これだけ行きたくないと思っている成人式ですが、私は行かないことにに一つだけ気がかりなことがあります。それは、私の母親です。私の母は私が成人式に行かないことについてどのように考えているのかが唯一の気がかりです。母に直接聞けるのであれば聞きたいのですが、絶対に聞くことはできません。何故なら、私の母はもう亡くなっているからです。少し前に一周忌を行いました。母は私が20歳を迎える半年ほど前に急死しました。母が亡くなってからは、私と父の2人での生活です。母は私が成人式に行き、スーツを着ている姿を見たいと思っているのでしょうか。今となっては分かりません。

母は、小中高の入学式、卒業式の全てに来てくれていました。そして、毎回私の写真をとっては嬉しそうにしていました。さらに、腕を組んで歩いたりもしました。その時の私は嫌だとは思わないのですが、恥ずかしいと感じていました。

驚くことに、母は大学の入学式にも来てくれました。その時もいつものように私の写真を撮って嬉しそうにしていました。私と腕を組んで歩くこともしました。この時は、照れくさく思う自分と少し嬉しく思う自分がいました。この時は「次は成人式の時に写真を撮られるんだろうなー」と思っていました。

今ではもう母が私の写真を撮ることはありません。この文章を書いている今、何故だか涙が出ます。母の葬式以来、母が亡くなったことについて考えないようにするために、自分を追い込んで忙しい日々を過ごすようにしてきました。母の死を悲しんで涙を流す暇もないほど自分を追い込みました。もちろん、母のことを忘れた日は1日たりともありません。

特別他の用事がないにもかかわらず、成人式に行かない私を母はどう思っているのでしょうか。母のために成人式に行くべきなのでしょうか。恐らく、成人式に出席する人の多くは「お母さんのためにも行った方がいい」と言うのでしょう。過去に成人式に出席した方々は「成人した姿をお母さんに見せて親孝行してはどうだい?」などと言うのでしょう。

しかし、たとえ成人式に行ったとしても本当の意味で母に私の姿を見せることはできません。仮に、スピリチュアルな人が、母が私を見ていると教えてくれたとしても、その実感が私にはありません。そもそも、私はスピリチュアルの類を全く信じていないのでただ腹立たしく感じるだけだと思います。

 

中学時代の同級生に気を使って、ニコニコと作り笑いをする私。

何一つ楽しいとも思っていないのに、空気を読んで楽しいフリをする私。

中学時代の同級生との会話の中で、中身のない話をして、時間を浪費する私。

私をいじめていた中学時代の同級生の「あん時は楽しかったよな!」という与太話に、「そうだね」と嘘をつく私。

 

そして、これらのことをして疲れて帰宅した私を笑顔で迎えてくれる母にはもう会えない。

母が私の写真を撮ることも、私が母と腕を組んで歩くことも二度とありません。

 

成人式に行っても、きっとつらい気持ちになるだけでしょう。そして、家に帰ってどうにも変えることのできない現実にただ涙を流すのでしょう。

 

 

だから、私は成人式には行きません。

 

以上です。長々と自分語りをしてしまいました。申し訳ないです。

誰かに読まれていても、誰にも読まれていなくてもいいです。このブログは私が好きに書いている自己満足ブログです。

 

最後に一つ、

 

私と同じ年に生まれた方々へ、成人おめでとうございます!