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自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです。日常生活のことや社会のことをざっくばらんに書いています。

「愛」は買えるの?

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こんにちは、私です(」・ω・)

 

最近、ブログの更新がなかなかできていません。したいと思っているのですが、夏休みが終わって大学が始まってからなんだかんだ忙しく記事の執筆時間を取ることができずにいました。でも実のところ、大学で講義を受けている方が記事のネタをつかみやすいんですよね。ネタはあるのに書く時間は取れないんです(´・ω・`)

今回のネタも大学の講義中に書きたいと思ったものです。少人数の講義でディベートの練習をすることになりました。ディベートのテーマは「愛はお金で買えるか?」というものでした。なんとも抽象的で難しいテーマですね。私もディベートに参加してあーだこーだ言いました。その中で他の人の様々な意見も聞きました。講義が終わってからもいろいろと考えて「買える」という意見と「買えない」という意見の両方に思うところが出てきました。今回は「愛はお金で買えるか?」について好き勝手書いていくだけです。オチも何もないような文章ですが良ければ読んでみてください。

 

 

さて、それでは改めてテーマを確認しておきましょう。「愛はお金で買えるか?」です。もちろん意見は分かれました。両方の意見を選んだ理由もまあそれなりに出てきました。「買える」と考えた人は「デートや記念日の時にお金は必要」「結婚するにも費用がかかる」といった意見が出ていました。少し面白かったのは「好きなアーティストのライブに行くためにチケットを購入したファンはそのアーティストからパフォーマンスを通じである種の愛を受け取っている」という意見です。ここでいう「愛」とは異なるような気もしましたが、言いたいことは分かりました。私自身は「愛はお金で買える」と思っています。それでも、「買えない」理由をあげる人の気持ちはなんとなく汲み取れました。「買えない」理由には「人としてどうなのか」「非人間的だ」といった倫理観に訴えかけるものや「無償の愛がある」「愛はお金がなくても育める」といったアガペーを語るものの二つが大半でした。この類のテーマでは多くの場合人の倫理観に訴えかけることが多いので言いくるめるのは簡単でした。

両方の意見を聞いて私なりに思ったのは「『愛』って何だ」ということです。「愛」には明確な形がなく、種類も「恋愛」「友愛」「親愛」「慈愛」と様々です。誰かや何かを想うものが「愛」だと思いますが、具体的にどういうものかを問われると答えに困ります。それでも私が「愛はお金で買える」と思っているのは、「愛」という無形のものを相手に伝えるための手段として有形のものを利用することが非常に多いからです。例えば、カップルにつきものの記念日には記念の食事やプレゼントを用いて愛を再確認していることが多いように感じます。さらに、結婚を申し込むプロポーズの際には愛の証明として用意されることがある婚約指輪は相手に対する「愛」が最大限表現されているものだと言えるでしょう。これらの「愛」に形を与えた「モノ」にはお金がかかります。つまり、間接的ではありますが「愛」をお金で買っているということができます。

しかし、「愛はお金で買えない」派ならここで待ったをかけるでしょう。「『モノ』として表現される前の『愛』はどこから生まれたんだ」と言われてしまうと「買える」派の私の意見に自信が持てなくなってしまいます。人と人が惹かれ合うのに金銭が絡んでいると言ってしまうのは暴論だと思います。性格、考え方、相性、容姿、態度などお金で買えるといいにくいものをきっかけとして「愛」が芽生えることもあります。こう考えると「愛」はお金で買うものではないということもできてしまいます。

ただ、ここまでで語ってきた「愛」は比較的綺麗な「愛」です。心のつながりを重視したプラトニックな愛です。しかし、幸か不幸かこの世に存在する愛は全てが綺麗なものではありません。色々な意味でいやらしい「愛」が存在することは確かです。

 

※注:ここからは下ネタが出てきます。苦手な方は読み飛ばすかここまでで読むのを止めるかしてください。

 

 

 

 

それでは、再開します。「愛」はお金で買えます。その「愛」が一方的に向けているものだとしても「愛」を向ける対象との関係や時間、サービスを買うことで間接的に「愛」を買うことができます。例えば、昨年あたりに少し話題になった(ような気がする)「レンタル彼女/彼氏」は「愛」を買っているといえるでしょう。利用者が指名した彼女ないし彼氏をレンタルしてデートをしたり甘い展開になったりすることでカップルの感覚を一時的に味わうことができるサービスです。他にも「添い寝サービス」というものもあります。こちらも先述の「レンタル彼女/彼氏」と似たようなものです。しかし、こちらはサービスの名前通り添い寝をするだけです。利用者はサービス料を払って指名した相手と一時的な恋人関係や添い寝相手になってもらっています。対して、サービス提供側は利用者の支払うサービス料に応じたサービスを提供します。今回の場合のサービスは「愛」です。つまり、利用者の支払った料金に見合った「愛」を提供しているということができます。ここでは「『愛』を売る」というビジネスが存在しています。お金で買った「愛」はまがい物だと主張する方もいるでしょう。それなら、「本物の『愛』」とはどういうものですか。そもそも、何を持って「本物」とするのでしょう。

こう言われると何がなんだか分からなくなってしまいます。書いている私もこんがらがってきました。ただ、私が思うのは「『愛』が買えるかどうかと本物かどうかは関係ない」ということがです。私が自分で話題を振ったにもかかわらず切り捨てるような真似をしてスミマセン。「愛」の捉え方は人それぞれです。それこそ、愛し方や愛の示し方、愛の対象、愛の価値などは本当に人それぞれです。まさに、十人十色というやつです。概念としての「愛」の意味はありますが、そんなものは辞書の文字列にすぎません。一人の人間の中にある「愛」の意味は一人一人違います。当然、お金を払って得る恋人関係に「愛」を見出している人もいます。反対に、「お金で買う『愛』は不純だ。絶対に認めない」という考えの人もいます。

お金で買える「愛」の例として「レンタル彼女/彼氏」「添い寝サービス」をあげましたが、世の中にはもっとわかりやすく昔から存在するお金で買える「愛」があります。それは、風俗店です。古くは娼婦、現在では風俗嬢との性行為に「愛」を見出すこともあるでしょう。利用者はいくらかのお金を払うことで風俗嬢とあれやこれやをすることができる時間を手に入れています。性欲を満たすためだけに風俗に来る人も当然いるでしょう。しかし、風俗嬢との関係に「愛」を感じている人もいるのではないでしょうか。現実に、風俗嬢には「常連さん」「お得意様」がつくことが頻繁にあるそうです。いつも来る人というのはほぼ間違いなくその風俗嬢を気に入った人でしょう。体の相性が良かったりテクニックがすごかったりするから人気ということもあるでしょう。しかし、それだけでしょうか。そこには「愛」が生じていることがあるともいえるのではないでしょうか。同じことがホストクラブやキャバクラにもいえるでしょう。こちらは風俗店とは異なり、(表向きは)肉体関係はありません。しかし、お店に行ってホストないしキャバ嬢と話をする機会を得たり一緒に飲み食いするためのお酒や軽食を注文したりします。話をするためにお店に行き、高額の商品を注文するのはホストやキャバ嬢への「愛」を形にしたものだといえるでしょう。ここには間違いなく金銭のやり取りがあります。これらの水商売では「愛」の売買が日常的に行われているのではないかと思います。

ここまで、長々と「愛」について書いてきました。「愛」という無形で抽象的なものを捉えるのは難しいです。形がなく抽象的だからこそ無限に形(?)を変化させます。その形も、プレゼントのようなモノだったり、関係や行為だったり、考え方や想いのような精神的なものだったりします。様々な「愛」を考えてきました。今回のテーマである「『愛』はお金で買えるか」に対する結論を出しました。それは...

 

「『愛』はお金で買えないとはいえない」

 

なんだかはっきりとした結論から逃げたみたいになってしまいましたが、私が買えない派の主張を叩き潰せるほどの強い主張を用意できないので、「買える」ではなく「買えないとはいえない」というモヤモヤした答えしか出せませんでした。

私のこの結論に納得のいかない方もいるでしょう。だからと言って叩いたり炎上させたりするのはやめていただきたいと思います。しかし、反論や私の知識不足を補うようなコメントは大歓迎です。どうか私にいろいろ教えてください。学術的な話でもウェルカムです。

 

ちなみに、私はDTです(´・ω・`)

DTなのに「愛」を語ってすみませんでした。最近、友人(DT)と二人で「俺らこのままいったら『魔法使い』コースまっしぐらやんけ」「それなら、『大賢者』になってマダンテ打とうぜwww」「サイコーやん、それwww」と冗談を言い合っていました。その話をしているときは私とDTの友人と彼女持ち(卒業済み)の友人の3人でしたが、彼女持ちの友人は呆れ顔で私たちを見ていました。とってもみじめなきもちになりました。

 

それでは(^0^)/