好きに自由に書かせてください( ..)φ

自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです。日常生活のことや社会のことをざっくばらんに書いています。

いい記事だなぁと思いました

こんばんは、私です(^O^)

 

今日、twitterを流し見していると、「良い記事だ」という評価を受けている東京新聞の記事がありました。

どんな記事かな?と思って見てみると、体育館で車いすバスケをしたいが、自治体が体育館の利用を拒否するためできずに困っているという記事でした。

www.tokyo-np.co.jp


記事を読んで、とても丁寧に作られている記事だなあと思いました。

なんというか、記者が自らの足を使って情報を集めたのが伝わってきたような気がしました。


さて、記事の内容についてですが、車いすバスケへの理解だけでなく、身体の不自由な人々への理解もあまりされていないのではないかと感じました。

近年、多くの施設で手すりを増やしたり、階段の付近にスロープを作ったりといったバリアフリー設計がされているのを見かけることが増えているような気がします。それだけではなく、どんな人でも使いやすいように「ユニバーサルデザイン」が意識されることも増えているように思えます。


私はこれまで、身体の不自由な人々が少しでも利用しやすいように、また、身体が不自由かどうかではなく誰もが使いやすいように社会が工夫をしているのだと思っていました。

しかし、今回の記事を読めば分かると思いますが、体育館職員の車いすバスケをしている人々への理解が欠如しているように見えます。記事の中でもそのような記述があります。

施設の設計が工夫されていても、身体の不自由な人々への理解が欠けているのでは、せっかくの工夫も配慮していることを見せるためのポーズと捉えられかねないのではないでしょうか。

記事の中では、国の対策が遅れていることが、一つの原因ではないかとされていました。国の対策が遅れているために身体の不自由な人々への理解が人々の中に浸透しにくいという現状となっているようです。

そのような状況下では難しいとは思いますが、私たち一人ひとりがほんの少しでもいいから、身体が不自由な人のことを考えてみたり、意識してみたりすることができれば、こういった問題も少しは緩和するのではないかと私は思います。綺麗事かもしれませんが...(^^;;


今年はリオデジャネイロパラリンピックが、そして4年後の2020年には東京でパラリンピックが開催されます。2020年までに国や私たちが少しでも身体の不自由な人々への理解を深めることができれば、よりよいパラリンピックを開催することができるのではないでしょうか。


今回は、知らないことが多いながらも記事を書かせていただきました。恐らく、間違ってしまっている部分があるのではないかと思います(なかったらいいなぁ...)。

とにかく、書きたいことは書けたので、私は満足です(笑)


それでは失礼します(^o^)/