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自分の書きたいことを好きに書かせていただく自己満足ブログです。日常生活のことや社会のことをざっくばらんに書いています。

黒歴史の抹消と歪んだ「正義」

どうもこんにちは、私ですよ。

投稿二回目ですが、読んでくれている人はいるのでしょうか?

 

まあ、それは置いておきましょう。

 

先月の27日に日本でとある司法判決が下されたことを皆様はご存知でしょうか?

テレビやネットのニュースでそれなりに取り上げられていたかとは思いますが、国内で初めて「忘れられる権利」があることが認められました。

 

今回のニュースを簡単に説明すると、インターネット検索サイトの「Google」の検索結果から、自分の逮捕に関連する記事を削除してほしいという男性の要求に対して、さいたま地裁が「犯罪の性質にもよるが、ある程度の期間が経過した後は、過去の犯罪は社会から『忘れられる権利』がある」と判断し、当該記事の削除を認める決定がされたということなんです。

 

皆さんはこの判断についてどう思われましたか?さいたま地裁の判断にもあるように、犯罪の性質にもよるから何とも言えないという方もおられると思います。「犯罪者のくせに都合のいいこと言ってんじゃねーぞ」と思った方もいるかと思います。

 

私は、過去に罪を犯してしまったものが罪を償う手助けになるからいいんじゃないかな?と思いました。ですが、今回書きたかったのはこういうことではありません。

私は、「忘れられる権利」があると認められるべき人々が他にいるじゃないか!と思いました。では、その人々とはどのような人たちか?皆さんは思いつきますでしょうか?

 

そもそも、「忘れられる権利」とは、

プライバシー保護のための新しい権利の概念。インターネットの発達により、ホームページ上などに各種の個人情報が永年消えずに残るようになった。このことから、適切な期間を経た後にまで情報が残っている場合、これを削除したり消滅させたりできる権能があってしかるべきだとする考え方に基づくもの(コトバンクより引用 https://kotobank.jp/word/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%A8%A9%E5%88%A9-189857)

であるらしいです。要するに、インターネット上に何らかの形で出ちゃった個人情報をある程度の期間が経ったら消すことができるのは当然でしょ、という考え方に基づいている権利です。(間違ってたらすみませんm(__)m)

 

話を戻しましょう。この権利が認められるべき人々に心当たりはありましたか?

まだ分かんないっすという方のためにヒントを出しましょう。昨年の2月20日に川崎市で残忍な事件が起きたことを覚えていますか?当時、中学1年生だった上村遼太さん(13)が刺殺された事件です。この事件の主犯格である当時18歳の少年は先月10日に懲役9年以上13年以下の実刑判決が下されています。この判決が軽いかどうかについては置いておいたとして、この事件の主犯格の少年について多くのことを知っている人が多いのではないかと思います。例えば、テレビのニュース等では報道されていない少年の実名や正確住所、家族構成、学歴、交友関係など、他にもいろいろあるのではないかと思います。今、私のつたない文章を読んでくださっているあなたも多くのことを知っている一人かもしれませんね。

何故、主犯格の少年の個人情報を全く見知ってもいない赤の他人が詳しく知っていたりするのでしょうか?このことについては知っている方も多いと思われますが、インターネット上、主に「2ちゃんねる」のような匿名掲示板や「Twitter」「Facebook」といったSNSで犯人探しが不特定多数の人たちによって自主的に行われたからです。そして、犯人を見つけ出した彼らは犯人と思われる人物の個人情報を調べ上げ、インターネット上にどんどん挙げていきました。それらの情報は現在も検索すれば容易に閲覧することができます。

 

ヒントが長くなってしまいましたね。ここまでくればピンと来る人もいるのではないでしょうか?この犯人探しによって、主犯格の少年と事件に関与していた2人の少年は個人情報をインターネット上に晒されてしまいました。彼らの犯人探しは成功したようにも見えます。しかし彼らが見つけ出した犯人は3人の少年たちだけだったでしょうか?

実際には、3人の少年以外にも犯人ではないかと決め付けられ、個人情報を晒されたり、ありもしないことをインターネット上に書かれたりした人々がいます。犯人候補として挙げられてしまった人たちは全く関係がないにもかかわらず、誹謗中傷を受けています。そのような人の中には、「他人の視線が怖くなった」「だれも信用できなくなってしまった」「インターネットを見ることができなくなってしまった」「怖くて外に行けなくなった」という人もいます。

 

私は、このような人々、つまり、インターネット上における犯人探しに巻き込まれてありもしないことを書かれてしまった人たちにこそ、「忘れられる権利」があると認められるべきではないかと思います。

 

それに私は、「忘れられる権利」以前に、インターネットでの犯人探しに問題があると思っています。この犯人探しと個人情報の拡散という一連の流れをジャーナリストの安田浩一氏は著書『ネット私刑』(2015)において、「ネット私刑」と名付けてこの集団行動を批判しています。

ネット私刑は、犯罪を犯した人を発見し、その犯罪者に制裁を加えることが多いです。そのため、この行為は「正義」の行為としてみなされることがしばしばあります。

近年は、警察組織内の人間が何かと事件を起こすので、警察への信用度が下がっているために「自分たちが『正義』の執行者になればいいんじゃない?」とか、マスコミに対する不信感から「『マスゴミ』の言うことなんて信用できるか!やっぱネットだな」といった意見がみられるようになっているように私は思います。そういった意見がネット私刑を助長しているのではないでしょうか。

 

「忘れられる権利」が認められることで、インターネット上から黒歴史を消すことができることは、その人の人生にとってとても良いことでしょう。しかし、その黒歴史を作ってしまうネット私刑を無くすことで、作られる必要のない黒歴史が作られてしまうことを未然に防ぐことができるのではないかと思います。

 

長々と書きましたが、要するに、「忘れられる権利」を認められるべき人は、ネット私刑によって個人情報を晒され、あらぬことを書かれてしまった第二の被害者の方々に適応されればいいなと思ったということです。

 

文末に、今回参考にした記事と文献のリンクを張っておきますので、興味を持った方は是非見てください。今度はネット私刑について書けたらいいなぁ...(-_-)

 

ではでは、また次の機会に(^O^)/

 

【参考】